2009年02月28日

もう1人の“リアクション芸人”


以前、お笑い芸人の『出川哲朗さん』を御紹介させて頂きました。

今回は、同じカテゴリーで、テレビ画面への露出を続ける芸人『ふかわりょうさん』について述べさせて頂きます。

この方は、ある日の《徹子の部屋》のゲスト出演で、たまたま拝見し、それ以来注目している方です。


ふかわりょうさんは、高校時代から芸人を志望しており、慶應義塾大学在学中にデビュー。同期は、にしおかすみこさん、TIMさんがおられます。最初コンビを組んでいましたが解消し、ピン芸人になってからは長髪にヘアーバンドの風貌で、高学歴芸人としてシュールな一言ネタや自己否定的な笑いを追求しました。

1997年前後に起こったお笑いブームの一つのスタイル『あるあるネタ』の元祖とも言われています。

次第に、本人の願望とは裏腹にリアクション系・いじられ系のキャラクターが濃くなっていき、現在では“すべり芸”が定番となりました。

現在のマッシュルームカットは、同じいじられ系の南海キャンディーズの山ちゃんさんを意識していると言われました。

幼少時代からのピアノは、お笑い芸人屈指の腕前で難度の高い曲もこなせます。ある時、ウッチャンナンチャンの内村光良さんから「映画音楽出来るか?」の何気ない一言から音楽を担当する事になったそうです。

ネタに関しては、ふかわりょうさんなりの、こだわりがあるようです。しかし、アドリブには滅法弱く、逆ギレ的リアクションしか出来ないようです。例えば、逆ギレした勢いで、前に出て来ても何も言う事を思いつかないようで、徐々にトーンダウンしてしまいます。

しかし、ラジオの番組では、はっきりと物事を言う姿勢が見受けられるそうです。



このような、ふかわりょうさんですが、この方も、しっかりとした考えを持って現在のキャラクターを演じ切っている気がします。《徹子の部屋》で、ちょっとした、そんな素顔が垣間見れました。

御自身が、本人の願望とは裏腹だった筈の“いじられ系”に気付き、開花させたのは、シュールな雰囲気の時代に、あるバラエティー番組で、東野幸治さんが何気なくいじった一言に、「異常なまでの快感を得た」との事です。以来、ふかわさんは、“その一言を投げてくれた”東野さんに恩義を感じているそうです。

テレビの中で露出を続ける為の〔自分の立ち位置〕を見つけ、独創性を確立した、ふかわりょうさんを、私は素晴らしい芸人さんだと思っております。・・・但し、面白いか否かは、別問題です。

お笑い芸人さん達の闘いは、永遠に続きます。これからも、お笑い番組を違った視点で観ながら、研究を続け、“売れる営業マン”の参考にしていきたいと、思います。
  


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2009年02月27日

相手を気分良くさせる〔その1〕

ある本からの、抜粋です。

☆絶対に待たせない人とは?


「時は金なり」と言う観点から考えれば、待たされる事程、欲求不満に陥る事はない。外で待ち合わせする時は、他に何かをしながら待つのも難しい。携帯電話を持っている者同士であれば、どれ位遅れるかや、待ち合わせ場所、時間を調整する事も可能。しかし、全く迷惑がかからない訳ではない。


人を待たせる人は、待つ人の時間と言う財産を盗む「泥棒」である。



遅れて謝る場合、執拗にすぎると嫌味になる。簡潔に理由を言って謝る。しかし、正当性があっても通用しない点を心得ておく。約束の時間までに着いたとしても、相手が既に来ている場合は「お待たせしました」と言う。相手が先なら待っていた事に間違いない。その点に対する心遣いの表明をする。




私は、ちょっと耳が痛いですが、有り難いお話です。皆様に平等にある、1日24時間の有効活用をしましょう。
  


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2009年02月26日

“着メロの会社”とは?

テレビ情報番組より。
今は、誰もが知っている携帯電話。ところで、その着メロを最初に手掛けた会社、ご存知でしょうか?(株)フェイスと言います。社長は、平澤創さん、年商300億円の業績です。
携帯の着メロの技術(ルール)を開発した人です。1990年任天堂に入り、1年で退社。わざわざ着メロを数字で打ち込まなくても、ダウンロード出来るようにしました。当時、機種によって、打ち込み方が違っていました。任天堂で、たまたまゲームミュージックの部門がありました。平澤さんは、このままサラリーマンで終わりたくないと思いました。フェイスは、着メロ統一ルール(コンパクトミディー)を握っているから儲かります。相手(半導体メーカーや携帯メーカー、電信電話会社)を儲けさす、WinWinプロジェクトも構築しました。コンパクトミディーは簡単に言うと楽器です。
次の展開としては、映像配信や携帯電話サービス(アメリカの市場)をしようとしているそうです。
今後ここにルールを作れば儲かる所とは、病院に作れば儲かるそうです。患者さんとを結ぶサービスです。

モノが豊かになり、今はすっかり情報技術が発達しました。その最先端を行く携帯電話。その主役の座を、パソコンから奪い取ろうとしております。もう、ほとんどの方々が御持ちになっている事でしょうが、案外、中のソフトウェアの会社の事を詳しく知る機会は、無いですね。
  


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2009年02月25日

《認め合う心》幸之助語録より


『日本人が最も尊敬する経営者』と言えば、松下幸之助さんですが、松下幸之助さんについて書かれている雑誌からの引用です。



《認め合う心》

「顔と言えば、わずか八寸位の円だ。それが、ある人は、鼻が目の上にあるとか言うならわかるが、鼻と言うものは、誰でも顔の真ん中にある、目はその上にちゃんと2つ並んでいる。こうした顔を20億寄せ集めてみても、みんな違うと言う事は、これは大変な事だ」



ものの考え方には、いく通りもある。「こっちへ行くほうがいい」と思うのも正しければ「あっちへ行く」と言うのも正しい。

万物は全部違うもので、みな持ち味が違う。それをお互いに認め合わないといけない。

民主主義と言うものは、みんなが我が道を生かす事。それをお互いに認め合い、皆が調和しようと言うのが民主主義の根本である。自ずと相手を尊重し、相手を尊敬し、そこに秩序が保たれ、そこから経済性が生まれて来ると言う事が必要だ。



偉大な方は、寛大な心があるから、認める事が出来るのですね。それが、皆の長所を伸ばし、成果を上げる原動力になっているのですね。
  


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2009年02月24日

《昨日のアカデミー賞》に学ぶ


昨日の、日本時間で午前10時半頃、第81回の米アカデミー賞の受賞式が、ありましたね。

外国語映画賞に、『おくりびと』、短編アニメーション賞に『つみきのいえ』が受賞され、ダブル受賞となりましたね。

『おくりびと』は、俳優で、元アイドル歌手の、本木雅弘さんが主演の映画でしたが、この映画、どのような経緯で製作となり、配給されたかも、皆様よくご存知かもしれません。

実は、主演の本木雅弘さんが、葬儀屋さんの納棺師の原作を10数年前に読み、その繊細さと日本文化、そしてヒューマニズムとユーモアの内容に感動し、惚れ込んだ為、現在の事務所の社長に、これを映画にして欲しい旨、お願いしたそうですが、断わられたそうです。

歳月だけが流れていきましたが、諦め切れない本木さんは再度一念発起し、映画を創ってくれないかと、頼んだ所、『そこまで言うなら‥』のノリで製作され、一般公開となりました。

ところが、昨日の時点で272万人の動員、32億円の興業収入となっています。

受賞時の滝田監督は、映画の神様が降りてきたと、おっしゃって、満面の笑みでいっぱいでした。

この原作は、元々納棺師だった青木新門さんの『納棺夫日記』と言う作品を、本木さんが読んだ事がきっかけですが、青木新門さんも、まさか10数年前に自分が書いた原作が、このような事になるとは思っていなかったでしょう。

『つみきのいえ』は加藤監督が、作りました。9ヶ月かけて製作しました。短編では快挙だそうです。



今までと違うのは、ハリウッド映画が、異変が起きてきた海外に目を向けるようになった事が、今回のダブル受賞と言う‘善循環’を生んだのだと思います。

そして、特筆すべきは、10数年前から、“想いを捨てず思い続け諦めなかった”本木雅弘さんがもたらした快挙だと思います。

とても、勉強させて頂きました。
  


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2009年02月23日

子供が持って帰って来たプリント


小学校に通う息子が、持って帰って来たプリントの中に投稿されていた作文に、心を突き動かされましたので、御紹介致します。



【命を見つめて】


皆さん、皆さんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私達の一番身近にある事を、病気になったお陰で知る事が出来ました。それは、地位でも名誉でもお金でもなく、「今、生きている」と言う事なんです。


私は小学6年生の時に骨肉腫と言う骨のガンが発見され、約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘って来ました。その結果、病気に打ち勝ち、右足も手術しましたが、残す事が出来たのです。


しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘って来た15人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さい赤ちゃんから、おじいちゃんおばあちゃんまで年齢も病気も様々です。厳しい治療と、あらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私達は生き続ける為に必死に闘って来ました。


しかし、あまりに現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続ける事がこれほど困難で、これほど偉大なものかと言う事を思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気に頑張っていました。


それなのに生き続ける事が出来なくて、どれほど悔しかった事でしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人達が誰よりも一番輝いていたと言う事です。そして、健康な体で学校に通ったり、家族や子供達と当たり前のように毎日を過ごせると言う事が、どれほど幸せな事かと言う事です。


例え、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば前に進んでいけるんです。生きたくても生きられなかった沢山の仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていく事が私の使命だと思っています。


今の世の中、人と人が殺しあう戦争や、平気で人に命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見るたびに怒りの気持ちでいっぱいになります。いったい、どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。




これは、中学2年生の女性が書いた作文です。この作文を通して、生きている全ての人達が、“命の尊さ・生かされている喜び・健康な心身への感謝の念”を、大いに感じとり、殺人や戦争の無い、平和な世界になる事を、祈念致します。
  


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2009年02月22日

『ツキを呼ぶ魔法の言葉』

皆様、ツキを呼ぶ魔法の言葉があるのを、御存知ですか?

おそらく、御存知の方も、沢山御見えになると思います。

御存知ない方の為に、書かせて頂きます。

これは、私が平成17年に出逢った小冊子『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の著者で、工学博士の五日市剛さんとおっしゃる方が、学生時代にイスラエルに単身で旅行なさった時の、数々の不思議な体験から来る実話です。

ここに全てを列挙していくと、キリがありませんので、要約致します。

イスラエルで、淋しい港町に降り立った所、周りには泊まるホテル等が全くなく、人通りもありませんでした。

たまたま、通りすがりのおばあさんが優しく近付いて来ました。事情を話した所、おばあさんは、優しく了承し、五日市さんを泊めてくれました。

温かい御馳走を食べさせてくれた後、おばあさんが
言い出しました。

「ツキを呼ぶ魔法の言葉と言うのがあるのよ。それは“ツイてる”と“感謝します”と“ありがとう”よ。」

その後続けて「“感謝します”は、何かが起こる前に、前もって口にすると、これから起こる事が良くなるわよ。」

そして、こうも言いました。「“ありがとう”は、何か悪い事が起こった時にも口にしなさい。」

“感謝します”と特に“ありがとう”に付いては、半信半疑でしたが、帰国後、五日市さんは、何気に“ありがとう”を漢字で紙に書きました。“有り難う”・・・アレッ!皆様、気がつきましたか?

そうです。『難』が『有る』と書くのです!

イスラエルのおばあさんの事を信じた五日市さんは、早速この3つ言葉をシチュエーションに合わせて、出来るだけ口にするようにしました。

そうすると、それ以降、五日市剛さんの身の周りには、やる事なす事全て素晴らしく良い事ばかりが、雪ダルマ式に起こりました。


実は、何を隠そう、この私も、《ツキを呼ぶ魔法の言葉》を多用して、良い出来事が続いております。

特に、逢いたい人に逢えるとか、一度なくしてしまって、ずっとどこに行ったか解らなくなっていた大切な物が見つかる、とかの類は、沢山良い事が起こっています。

この小冊子には、五日市剛さんのイスラエルでの旅行中の詳しい内容や、帰国後の身に起こる沢山の良い事が詳しく書かれています。もし、よろしければ御読み下さい。


ちなみにタレントの、うつみ宮土理さんは、女優の森光子さんから、一風変わった“ありがとう”の使い方を教わったそうです。

何か良くして頂いた瞬間に「ありがとう」、次の日に連絡して「昨日はありがとう」、もう一度会った時に「先日はありがとう」の3回言って、感謝の意を伝えなさい、と習ったそうです。

同じ「ありがとう」の使い方でも、沢山の数使う方法は知っていましたが、意外と場面の節目で感謝の意を表す方法に、気が付いていない自分がありました。



皆様も《ツキを呼ぶ魔法の言葉》を沢山使って、幸せになりましょう。
  


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2009年02月21日

“お笑い”の奥深さに学ぶ


今日は、「お笑い」についてです。


テリー伊藤さんに師事した、“ガイド”と言う職業の、広川峯啓さんが、バラエティ番組を楽しむ為の情報として書いておられた内容(一部要約)です。



お笑いブームは、ご存知ですか?このブームは、8年周期で来ると言われています。1982年、1990年、1998年に、ブレイクしたと言われており、立役者は、各々、ダウンタウンさん、ナインティナインさん、インパルスさん・ロバートさん他・・・です。


最初は、1980年代の初期漫才ブームがありました。フジテレビ系の「花王名人劇場」「THE MANZAI」の漫才ネタを放映する番組が、大人気になり、吉本興業の東京進出で、上方芸能や関西のスピード感溢れる芸能が全国区になりました。代表的な芸人は、やすしきよしさん、ツービートさん、ザ・ぼんちさん、B&Bさん、紳助竜助さんです。



1990年代は、「ボキャブラ天国」がフジテレビ系で放映され、駄洒落に近い風味の芸が流行りました。代表的な芸人は、爆笑問題さん、ネプチューンさん、くりぃむしちゅ〜さん、パイレーツさん、つぶやきシローさんです。


2000年代は、番組構成上の流行から、NHK「爆笑オンエアバトル」「M−1グランプリ」「笑いの金メダル」、そして他に、「エンタの神様」「イロモネア」「レッドカーペット」があり、ネタ番組が加速度的に増え、若手芸人の露出機会が急増しました。下積み経験の長い芸人のブレイクや駆け出しの若手にもテレビ出演のチャンスが増えました。それに伴い、様々なジャンルやスタイルで笑いを表現する芸人が増えました。



それでは、なぜ今がお笑いブームな訳かを、考えてみましょう。現代社会・経済と、関連性があると思います。



一つは、現代が情報化社会である事です。現代は、新聞報道等の難しい話だけでなく、様々な内容が瞬時に得る事が出来ます。



従って、視聴者は、ちょっとやそっとじゃ満足しなくなりました。人と違う事をしなければ、覚えてもらえなくなりました。



売れたい芸人は工夫します。お笑いの若者は増えている為、よほど頑張って知恵を使わないと勝ち残れなくなったのです。



お笑いスタイルは、ボケとツッコミだけでは無くなりました。「ツッコミボケ」のおぎやはぎさん、「ダブルツッコミ・ダブルボケ」の笑い飯さんや、ポイズンガールバンドさんのような、掴み所のないパターンも出て来ました。



お笑い人口が増えると、埋もれない為の努力が、業界全体を盛り上げた訳です。


今、日本に関わらず、不景気の波が襲っていますが、若い人達の現象として、なかなか意中の会社にも入れない就職難も、お笑い人口を増やしている元凶とも感じます。「だったら、好きな事をやろう」と思いだしたようです。



いずれにせよ、お笑い芸人の世界は、奥が深いです。


我々も、この世界を見習う事は必要だと、強く感じる今日この頃です。
  


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2009年02月20日

夢の実現は‘一匹のネズミ’から

皆様が、よくご存知のお話です。

その青年は漫画が好きな貧乏アニメーターでした(漫画が好きと言っても、麻生総理大臣では、ありませんよ)。

アパートを借りるお金もなく、ネズミが這い回る倉庫に寝泊まりしていました。

彼は苦しいながらも仲間と共にアニメ『うさぎのオズワルド』(1927年)を作り、大ヒットします。

しかし、彼は手痛い大失敗をおかします。『うさぎのオズワルド』の著作権を取得していなかった為、映画の配給元に著作権を奪われました。

彼に報酬は全く入らず、仲間のスタッフまで、配給会社に引き抜かれてしまいました。

彼は泣きながら故郷に帰りました。お金・仲間・会社・将来の保証も、何もかも失いました。

しかし、夢だけは捨てませんでした。

彼は、自宅のガレージにこもり、苦しい生活の中で唯一自分と友達になってくれた“ネズミ”が登場する、新しい作品を作ります。

皆様、もう、おわかりですね!

ネズミの名前は《ミッキーマウス》。

冒険心旺盛で、つまずいても明るく立ち直るミッキーマウスは、たちまち人々の心を捉え、アメリカ中で人気者になりました。



この青年の名前は、ウォルト・ディズニーさん。

夢を諦めていれば、ディズニーランドやディズニーシーも誕生しなかったのですね!




夢を諦めない、夢を見続ける・・・すると、きっと叶います。
  


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2009年02月19日

『歴史あるブランド』を学ぶ

“全てのアスリートのために”のキャッチフレーズ・・・アディダスはご存知ですよね。


80年代から日本で流通され、日本法人アディダスジャパンは、1998年に設立しました。


その歴史自体は古く、1940年後半に、ドイツ人靴職人のアドルフ・ダスラーさんが、全てのアスリート達をサポートする靴作りを目指し創業したのが、始まりだそうです。


ブランドを象徴する3本ラインは、創業当時に発表された靴に、強度を高める為の補強用として、3本のテーピングを付けたのが始まりと言われているそうです。


3本ラインは「スポーツをする全ての人をサポートする」と言う創業者の想いを受け継ぎ、現在のアディダスの原点になっています。


その後、「パフォーマンスを上げる為のウェア」へ幅を広げ、サッカー以外にベースボール・ランニング・テニス等の種目と力を入れ、大人から子供までを対象に、親しまれています。


・・・ところで、ブランド名のアディダスは?・・・アドルフさんの愛称(あだ名)が“アディ”だったんです。それで『アディ・ダスラー』で《アディダス》だ、そうですよ。




私も中学・高校、サッカー部で、アディダスさんを愛用しましたが、ここまでの事、存じ上げませんでした。


皆様、ご存知でしたか?
  


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2009年02月18日

9・11テロと魔数「11」


ちょっと、ゾクっとする話です。数字には、特定の意味や象徴性が含まれています。

日本でも「4」「9」は、ネガティブ要素の慣習があります。海外では「11」がその数字にあたり、ニューヨークの世界貿易センタービルに対する航空機自爆テロ事件に始まるアメリカ同時多発テロは、「11」と言う数字が不吉な意味を象徴しているのです。

あの事件は、2001年9月11日ですが、先ずこの日が11日、9月11日の9+1+1が11、又事件の起きた世界貿易センタービルは、双子のツインタワーであり、遠くから見ると数字の11、そして、2001年の元旦から数えて254日目にあたります。これも、2+5+4が何と11、9月11日以降の2001年の残された日数は、365−254で111日となります。

更に、世界貿易センタービルに最初に激突した航空機は、偶然11便、乗っていた乗客は92人だったが、9+2で足すと11になるのです。激突した2機目には65人の乗客、これも6+5で、やはり11になります。

事件が起きたニューヨーク州は、アメリカで11番目の独立州で、被害を受けたニューヨークシティ(NEW YORK CITY)と、国防総省(THE PENTAGON)は、共に11文字、事件に関連のあった国アフガニスタン(AFGHANISTAN)も、11文字です。

実は、過去に世界貿易センタービルでテロを起こした犯人ラムジ・ユセフ(RAMZI YOUSEF)の名前も11文字なのです。



皆様、この偶然を、どう考えますか?あながち、ただの偶然とは思えない気がします。
  


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2009年02月17日

薬の業界を少し知ろう!

薬市場業界の、儲かりの秘密を、ちょっと御紹介致します。
業界は、8500億の市場。新薬は開発スタートから10年かかる。大衆薬はロングセラーになる事が多い。
風邪薬だけでは、615億円の市場。
3位はベンザブロック。
年間57億円。
2位はルル。
錠剤を糖衣にした。CM戦略が当たった。
1位はパブロン。80年間売れている。胃腸薬は、ドル箱がガスター10で、急成長した。
胃腸薬の1位はキャベジンコーワ。
実は、キャベツの汁から作った。年間80億円。

大衆薬の始まりは、実は、医療用の薬を大衆薬にしていたとの事。27%の原価率で、20%の利益率。
医療費削減の為に、薬の販売は、3種類ある。
これから、今以上に伸びるビジネスは、移動薬。2年前から、どこで売ってもよくなったが、6月からは『改正薬事法』により、インターネット販売等は、商品によって(副作用のリスクの一類〜三類)は、規制されるが、これには、賛否両論がある。



少しだけ知っている(テレビで勉強した)《薬業界プチ情報》でした。業界の方、お粗末様でした。
  


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2009年02月16日

人を喜ばせる〔その1〕

ある本からの、抜粋です。

☆気配りが出来る人とは?・・・「送っていきましょう」と言える人


送ろうという申し出をする人の言い方には、二通りあります。

『送っていきましょう』と『送っていきましょうか?』の2つです。

前者の言い方は、即座に『お願いします』と言えます。相手の好意に率直に応じる事が出来ます。断ると好意を無にします。

しかし、『送っていきましょうか?』の疑問形は、ニュアンスが変わり、どうしても送っていきたい“熱意”が感じられません。

言われた側は、一瞬どうしようかと思い、心から送ってあげたいと思っているのか、儀礼的な感じか考えます。儀礼的なら、儀礼的に断ったほうが無難かも、と思ったりもします。

どんな場合でも、疑問形で無く、積極的に言いましょう。そのほうが、嬉しさ倍増ですよ。



※ちょっとニュアンスが違うだけなのに、日本語って、とても不思議ですよね!是非、今日から実践してみましょう。
  


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2009年02月15日

《吉野家の挑戦》

私は、吉野家の牛丼が大好きです。牛丼一筋の《吉野家ディーアンドシー》は、現在、安部修仁社長です。
日本最古108年のファーストフードチェーン店。
『大盛り』『特盛り』や『つゆだく』は、どの店でも通じますが、『軽いの』『あたま大盛り』‥東京の築地1号店は、これが通じるらしいです。
たった9年で272店舗に成長しました。安部社長は、初めは、アルバイトから仕事を始めたそうです。
しかし、1980年に業績が落ち、倒産。味をおろそかにし、マズくしたのが間違いでした。「破産になる迄やろう!」・・・残った人員で誓って、懸命に働きました。“うまい”を最優先して復活し、たった4年で借金を返済しました。
しかしながら、今度はBSEで2回目の危機を迎えます。ここで、オーストラリア産に替えたら後悔すると思い、控えました。
勉強になったのは、マスコミ(メディア)は、『良い時は嘘を付いても、モテ囃す。悪い時は同じ論法でも叩かれる。』
有楽町店(東京)は全国一の売上です。一分以内のスピードを考え、旨さのこだわり=正確85グラムの並盛りをしているそうです。
タレは世界中一緒にしており、味を変えようと言う考えはありません。少し前に、ピンチで豚丼などのメニューを作った事で、逆にメニュー幅が広がったそうです。


吉野家の挑戦は、続きます。今年2月中には、中国・東南アジアでの牛丼事業を強化する為、全額出資の子会社を設立すると発表しました。
アメリカを除く現在261店の海外店を、早期に400店まで増やすそうです。
新会社は《吉野家インターナショナル》で、資本金は、1億5千万円。新会社は、主に中国・台湾・シンガポール等のアジアを中心に海外事業を統括します。


これからも、吉野家の挑戦を、微笑ましく見守っていきたいと思います。





「頑張れ、吉野家!」・・・・“真実一路”より。
  


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2009年02月14日

“ニッチ市場”成功会社に学ぶ


工具ネット販売会社「MonotaRO」(モノタロウ)を、御紹介致します。


工具や工場用品(90万点)のインターネット通販を手掛ける会社で、割安なプライベートブランド(PB)が主力です。



参入したのが、2001年で、中小企業が“工具商の言い値で調達する事”に着目し、ネット通販の可能性を社長の瀬戸欣哉さんは、確信したそうです。



ニッチな分野で競合はなく、数年で圧倒的トップになりました。顧客事業者数は、30万超で郵便やFAXでDM配布していたのを、新たにネット広告拡充を計り、会員ペースを引き上げる狙いとの事です。



購買単価は落ちているものの、消耗品等、低価格で受け顧客を増やしていく公算です。



更に、多角化事業として、自動車整備工場向け通販を昨年に始め、目標の年商を08年度中で達成しました。9月には、工事業向け通販を立ち上げます。



少しでもコスト削減したい国内中小企業の需要を取り込み、今期で五期連続の増収増益を達成する見込みです。



どういった所(ニッチな部分)にアンテナを張り巡らせて、ビジネスを展開するかで、たった一つのオンリーワンを確立し、成功出来た、モデルケースではないでしょうか。
  


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2009年02月13日

『サラリーマン川柳』を見てみる



第一生命さんが9日、毎年恒例のサラリーマン川柳コンクール入選100作品を発表しました。


毎年感じますが、自虐的なものが多く、特に今回は景気減速や雇用問題等の深刻なのが、目立ちました。


今日はその中から、後ろ向きで無い作品や「なるほど」と思う作品を紹介します。



・パパ部長 家の中では ママ社長
・社運賭け 社員総出で ジャンボくじ
・「おかえり」の 笑顔のために 仕事する
・里帰り おふくろの味 五つ星
・マンガ好き 末は首相と 息子云う
・篤姫に 仕切らせたいな 国会を
・団欒は 昔ちゃぶ台 今携帯
・胃がいたい されど休日 絶好調!
・切れる奴 昔は賢人 今危険
・「解散!!」と 叫んでみたい 無駄会議
・減収で 効果出てきた ダイエット
・iPod すぐに沸くかと 祖母が聞く
・投げ出すな 国とは違う 学業は



独断と偏見でピックアップしましたが、100作品中、これだけしかありませんでした。


例年の川柳の、自虐的な内容に輪をかけて、この時勢が、こうも“後ろ向きで無い作品”を減らしてしまっているのか・・・と、思いました。
  


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2009年02月12日

《仕事10訓》を覚えてみよう



以前、勤めていた会社の名物研修で行っていた、十訓を御紹介致します。



《鬼十訓》

1、仕事は自分から「創る」べきで、与えられるべきではない

2、仕事とは先手先手と、能動的に「働きかけ」て行く事で、受け身でやるものではない

3、「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事は己を小さくする

4、「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げる所に進歩がある

5、一度取り組んだら「放すな」目的完遂までは殺されても放すな

6、周囲を「引きずり回せ」引きずるのと、引きずられるのとでは、永い間に天地の開きが生ずる

7、常に「計画」をして、長期に亘る計画を持っておれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる

8、何事にも「自信」を持て、自信が無いから君の仕事には迫力も粘りも、そして厚みすらも無い

9、頭は常に「フル回転」八方に気を配って、一分のスキもあってはならない、サービスとは、そのようなものである

10、「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練的な人間となる




この文章を、一字一句間違えずに、何人かのチームで勝ち抜けの暗唱をやりました。一人ずつ発表し、一字でも間違えたら、一人目からやり直し。チームとして、自分だけが暗唱出来ても駄目で、最後の一人までが、キッチリ言えたら終わりです。終わるまで、エンドレスでした。


辛かったですけど、出来たチームは、知らないうちに、チームの結束力が芽生えました。苦労したチーム程、その過程や直後からの結束力やチームワークが素晴らしかったのを、記憶しております。



障害が辛かったり、壁が高い程、乗り越えた時、“今まで以上のプレゼント”が得られる訳なんですね。
  


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2009年02月11日

“美的凝視”のすすめ

ある日、営業職の勉強会(日本営業道連盟と言います)で御一緒している方と、お茶を飲みながら談笑していた中での、降って沸いた“ちょっと、ほのぼのする話”です。



その方は、11歳・9歳・7歳のお子さんのお父さんです。普段、お仕事の関係で、なかなか子供達と話す機会が無い中、家に帰って子供達と会った時、第一声で必ず同じ質問をするそうです。


それは、『今日、何か良い(楽しかった)事、あったか?』です。



最初は、子供達も『別に〜』とか『無かった!』とかの返事しか、しませんでしたが、その方は、子供達と顔を合わす毎に、尋ね続けたそうです。



いくばくかの期間が過ぎた頃、3人の子供達に異変が起きて来ました。



『今日は、こんな楽しい事あったよ』『今日、学校で先生に褒められたよ』『体育で、こんなスポーツをして楽しかった』・・・子供達は、お父さんに話をしてくれるようになりました。


それからも、その方は、毎回子供達とのコミュニケーションをとっていた所、もう一つの異変が起こりました。



それは、お父さんが今日どうだったか、尋ねる前に子供達が自発的に、その日あった良い出来事を報告するようになったのです。



毎日、お父さんが、お子さん達に良い事があったか繰り返し聞く事で、お子さん達が自発的に『良い事を探す』・・・つまり、自ら《美的凝視》をするようになったのですね!



皆様も、普段の生活の中で、“美的凝視=良い所探し”をしてみましょう。
  


Posted by makishing at 05:37Comments(14)

2009年02月10日

“無駄遣いも必要”に学ぶ



放送作家の小山薫堂さんのインタビューの“安さだけで買うな”の続きで、御本人がおっしゃっておられました内容です。



「作家の池波正太郎さんは、タクシーに乗ると必ずチップを渡していたそうです。運転手さんは嬉しくなって次の乗客に愛想良くなる。その乗客は気分が良くなり、降りた先で気持よく人と接する。自分が渡したお金から小さな幸せが連鎖して広がっていくのです。景気対策で支給される定額給付金で、そうした無駄遣いをしてみたらどうか。どうしたら人に小さな幸せを与えられるか考えて使ってみる。そこから新しい絆が生まれるかもしれない。」



「私はかつて、ソニーが発売した犬型ペットロボット《AIBO(アイボ)》を3台買いました。ソニーの挑戦する姿勢に拍手する気持ちでした。それで得した事は、特にありません。いつか孫に自慢する位でしょう。しかし、ロボットの未来に投資をしたと満足しています。」



・・・無駄遣いをしたいと思わせるには、企業の努力も必要では・・・との質問には



「客が来ないのは、不況のせいばかりとも言えません。消費者が買わなくなったとしたら、理由がある。例えば日本の伝統工芸品。職人芸の継承に繋がる点からも、いい無駄遣いの対象だと思いますが、時代に合ったものを作っているかが問われます。最近、ワイングラスに漆で名入れをするサービスを利用した事がありますが、そういった時代に合った新しいものを企画するプロデューサーも必要でしょう。」



時代や時勢を先読みし、“徳積み出来る仕事”が出来れば・・・そして、消費は“生き金と死に金”を、わきまえて使う、と言う事なんでしょうか。
  


Posted by makishing at 06:26Comments(6)

2009年02月09日

人の批判は、なくならない?!



ある本で、紹介されていた、こんな話があります。



ある農夫と息子が畑から家路についていました。農夫は一日の労働を終え、満足げにロバの背に、またがっていました。

すると、近所の知り合いが、それを見て彼をなじったのです。「一体何と言う事だ。お前さん、何がそんなに嬉しいか。子供は、どうでもいいのか!」

そこで、農夫はロバから降りて、息子を乗せました。

少し行くと、一人のおばさんが、それを見て怖い顔をして叫びました。

「どうしたんですか!お父さんを歩かせて何とも思わないか。何て親不幸な息子さんな事!」

そこで、息子はロバを降りて、父親と歩き始めました。

すると、誰かが思わせぶりに言いました。「優しいお人だなぁ〜。ロバが疲れたらいけない、と歩いてるわ。」

どうしたらいいか、わからなくなった2人は、2人共ロバに乗って行く事にしました。

家まで、もう少しの所まで来ると、苦しそうにしているロバを見て、誰かが大声をあげました。

「お前ら、犬畜生にも劣る奴だな!かわいそうに、ロバは今にも倒れそうなのが、わからないのか。」

それを聞いて2人は、ロバを担いで歩く事になりました。



・・・と、言うお話です。

結局、何をしても、誰かの無理解や批判って、あるものではないでしょうか。

人により、立場や見方は違いますから、いちいち気にしていても、仕方がない。無理解や批判は、人様の為に正しい事をしていても、あるもの。・・・と、著者は締め括っています。



私は同感です。皆様、どう思いますか?御意見、御感想をお寄せ下さい。
  


Posted by makishing at 06:36Comments(10)