2011年10月30日

日本の陽明学


今日は、先日参加した勉強会の中の資料『王陽明について』より《日本の陽明学》を、紹介致します。




《日本の陽明学》


日本の陽明学者としては、江戸初期の中江藤樹や、熊沢蕃山が、あげられる。また陽明学の「致良知」「万物一体の仁」などの思想により「乱」を起こした大塩中斎(平八郎、大阪町奉行与力)が幕末に現れている。江戸幕府において、既存秩序の肯定=幕藩体制擁護の役割を果たした林羅山らの朱子学が大きな学派をなしたのに比し、陽明学は思想としては個々人に散発的に受容された。

江戸期には、山田方谷(備中松山藩郡奉行として藩財政改革)、河井継之助(越後長岡藩士、山田方谷に学び、藩財政改革。戊辰戦争で幕府につき負傷撤退中死去)、吉田松陰(長州藩士、松下村塾を開く。安政の大獄で刑死)、西郷隆盛(明治維新後、西南の役に敗れて自刃)らがいる。

昭和に入って、三島由紀夫は、「革命の哲学としての陽明学」を公表した2ヶ月後に、東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、自衛隊決起のアジ演説後自決している(三島事件)。






※如何でしたか?元々、陽明学というのは、日本の言葉であり、中国では存在しなかったらしいです。三島由紀夫が陽明学を勉強したのかどうかは、はっきりしないと、言われています。

朱子学も陽明学も“人間学”だと、解釈します。プロセスの人間性を築いた学問の一つと、考えます。
  


Posted by makishing at 04:40Comments(2)