2012年08月11日

但惜身命と不惜身命


今日は、私に定期的にメルマガを送ってくださる方からの『今日の言葉』です。





【但惜身命と不惜身命】



お互いがこうして生きている。
考えてみれば、
これくらい不思議なことはない。

この悠久なる時間と、
この茫漠(ほうばく)たる空間の中にあって、
たまたま時と所を一にしてこうしているという、

こんな不思議なことはないということがわかれば、
この現実、この刹那、この寸陰(わずかの時間)、
この場、この身というものが、
何よりも大事なのである。

無限に愛惜(あいせき)すべきものになる。
これを「但惜身命(たんじゃくしんみょう)」という。

それを把握するためには、
取りとめのない日常の身命などは、
値打ちがない。

これは不惜身命(ふしゃくしんみょう)
(身命を惜{お}しまぬ)である。
 
真に道を得るためには、
それこそ不惜身命でなければならない。

何が故に身命を惜しまぬかといえば、
但惜身命――本当の身命というものを
限りなく愛するからである。

真の自己・真の存在というものを
限りなく愛着するが故に、
この取りとめない、はかない、
迷える身命など、問題ではない。

命がけで命を惜しむ。
但惜身命なるが故に、不惜身命。
不惜身命にして、但惜身命になる。


 『安岡正篤 一日一言』より






※与えられた命について、尊いものであるというのを、2つの言葉で表現しています。

とてつもない確率で、今を生きている私たち。

生かされているのだから、それを活かしたいと、思います。
  


Posted by makishing at 04:29Comments(0)