2012年09月07日

大造船所の生みの親は外国人!!


今日は、大阪市立総合生涯学習センターの月刊誌『いちょう並木8月号』(発行:大阪市教育委員会、編集:大阪市立総合生涯学習センター)の中の《おおさか歴史探訪60−−−大造船所の生みの親は民間外国人!?》を、要約して紹介致します。





海に囲まれた島国の日本にとって、造船業はとても重要でした。明治政府の官営工場の継承で、三菱造船所や川崎造船所などがつくられましたが、日立造船は設立当初からの民間造船所で創業者は外国人でした。


彼の名は、E・H・ハンター(英国アイルランド州生まれ)、1865(慶応元)年に来日し、1874(明治7)年、神戸の外国人居留地にハンター商会として貿易をしていました。鉄工造船所の建設計画に着手、中津川(現在の六軒家川)と安治川が合流する旧西成郡春日出六軒家新田松ヶ鼻(大阪市此花区西九条七丁目)に広さ1万平方メートルの工場を建設しました。


こうして1881(明治14)年、「大阪鉄工所」が開業しました。ハンター38歳、工場名義人は息子リチャードこと平野竜太郎でした。竜太郎は範多家を創設、範多姓を名乗ります。桜島にも工場を建設し、明治末期には日本の三大造船所に数えられました。

そして、1943(昭和18)年に日立造船と改称されます。今、工場跡地には顕彰石碑が立っています。日本人の妻をむかえたハンターは、心から日本を愛し、日本人を信頼する経営を行ったといいます。彼の住宅(重要文化財)が神戸市立動物園内に移築保存されています。





※島国日本が近代化を推し進めた業界として、造船業は、切っても切り離せないと思っています。

その業界の中枢の大手数社のうちの一つの創業者が英国人だったとは、全く知りませんでした。

歴史を振り返り、足跡を学ぶことは、素晴らしいと思いました。
  


Posted by makishing at 06:41Comments(2)