2018年07月23日

空飛ぶ清少納言の生涯


今日は、大阪市立総合生涯学習センター編集、大阪市教育委員会発行のフリーペーパー『いちょう並木 7月号』より【空飛ぶ清少納言の生涯】を要約して紹介致します。





大阪市北区中之島三丁目は「北村兼子」の実家のあったところです。大阪で生まれ育ち『女たちの20世紀・100人』という本にも樋口一葉、与謝野晶子らと共に紹介されている人物です。

兼子は漢学者・北村佳逸の長女として明治36(1903)年、天満に生まれ、中之島小学校から梅田高女、大阪外語英語科、関西大学ドイツ法律科に進み、関西大学で最初の女子学生となりました。

大阪朝日新聞に入社し、記者として活動すると共に性差別に対する評論を執筆し、当時「現代の清少納言」とまで言われました。

24歳の若さでホノルルの婦人会議に日本代表で参加、翌年、ベルリンの万国婦人参政権大会にも参加、英語・ドイツ語の演説の他、ラジオでも多くの聴衆を魅了しました。

昭和6(1931)年8月には、三菱航空機に発注した飛行機を自ら操縦し訪欧旅行を決行する計画が、前月に腹膜炎で亡くなり、大望を叶えることができませんでした。

遺著『大空に飛ぶ』には「人間の外出には靴をはく代わりに肩の上に軽い航空機を載せて飛んでいく」ようになるだろうと未来への夢想も語られています。

大正〜昭和の初めという時代に、女性の政治的・社会的差別に対して立ち向かった若きジャーナリストのいたことを、大阪市民にはぜひ知っておいてほしいと思います(大阪市教育委員会、文化財保護課)。





※北村兼子さんの事、知りませんでした。

大正から昭和にかけて、まだ男女の平等もない時代において、立ち向かった人が活躍していた事、覚えておきます。

本日も、ありがとうございました。
  


Posted by makishing at 07:07Comments(2)