2014年03月04日

おとりつぎ


今日は、たまたま手にした雑誌『御堂さん2月号』(発行所:本願寺津村別院、大阪教区教務所)の見開きページにあった《仏事の小箱》から【おとりつぎ】です。





「しばらくの間、おとりつぎをさせていただきます」

お寺での法要で、お勤めが終わって少しの休憩の後、法話が始まりましたが、ご講師が最初に言われた言葉がそれでした。

普段、お寺に馴染んでいる人ならなんとも思われないでしょうけれど、初めて法話というものを聞かれる方には、「おとりつぎ」という意味が理解し難いようで、「何をおとりつぎして下さるのですか」と、法話がすんでから、そっと尋ねにこられた人があるのです。

「おとりつぎ」は、言うまでもなく、「お取次」です。取次は世間で言うそれと同じで、橋渡しをするということです。

実は、法話というものが、一般の講演などと異なるのは、語り手は取次の役目をしているのだということです。

何を聞き手に取り次ぐのかといえば、間違いなくそのまま救う阿弥陀さまの心です。仏さまが説かれたお経の世界や、宗祖親鸞聖人が心血を注いで書かれた言葉の味わいを、誤りなく橋渡しして聞いている人に伝える、それが法話というものなのです。

これからのお話は、自分自身の勝手な思いや考え方ではなくて、仏さまや、お念仏の教えを伝えて下さった祖師方の言葉に依っているのだということを、「おとりつぎ」という言葉で表しておられる訳です。

法話を専門にされる方を、浄土真宗では、「布教使」と呼びます。読み方は同じでも、「布教師」とは言わないのです。

それも、「師」という立場で人に教えるのではなくて、あくまでも取り次ぎをする、「使」だということです。それが浄土真宗の在り方なのです。





※素晴らしい内容です。

物事を継承していくスタンスは、どのような分野でも同じだと思います。

この『おとりつぎ』を、いつも心に携えてまいります。



Posted by makishing at 06:02│Comments(0)
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