2014年09月23日

宮沢賢治の母から学ぶ『親の役割の重大さ』


今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガからです。





 宮沢賢治の母である"いち"は、
 1877年岩手県花巻市に生まれ、
 1893年に賢治の父・宮沢政次郎と結婚します。

 いちはとても優しく気品があって 立派な女性でした。

 賢治は、いつでも心にゆとりをもち、
 明るい笑顔で人に接する母のことが大好きでした。

 思慮深い子どもだった賢治ですが、
 彼の最も優れた美徳は 母親譲りの限りない優しさであった
 といわれています。

 ある日、学校で一人の生徒が赤いシャツを着て
 皆からはやしたてられていました。
 それを見かねた賢治は

「自分も今度赤いシャツを着てくるから
 彼をそんなにいじめないでくれ」

 と訴えて、皆を黙らせたそうです。

 また、道路で友達と遊んでいるとき、
 友人の一人が荷馬車の轍で
 指先を怪我してしまいました。

 それを見た賢治は友人の傷口を自分の口につけ、
 指から出る血を吸ってやったのでした。

 このように優しい心を持っていた賢治ですが、
 その根っこには毎晩寝る前に
 言い聞かされていたという母の教えがありました。

 いちが何度も彼に繰り返した言葉は
 このようなものでした。

「ひとというものは、
 ひとのために、
 何かしてあげるために生まれてきたのです」

 この言葉は時代を超えて、
 いまも生き続けるものです。

 この母あっての心優しい賢治だと
 頷ける言葉ではないでしょうか。

 このようにして彼は利他の精神に基づく
 独自の価値観を築き上げていったのです。





※宮沢賢治の母“いち”の、賢治に向ける愛情の深さを感じます。

時代がいかに変わっていっても、陳腐化しない素晴らしいモノって、ありますね。

私も子を持つ親として、考えさせられた文章でした。



Posted by makishing at 07:36│Comments(0)
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