2016年12月21日

教養があるか無いかの差とは?


今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガからテーマを変更して【教養があるか無いかの差とは?】を紹介致します。





教養があるかないか、どこに差が現れるのだろうか。

それは、自分の経験から得られる果実の差に現れる。

例えば、京都に行く。

教養のない人は、「京都は古い建物ばかりで、面白味がない街です。」で終わってしまう。

教養のある人は、「京都は千年以上も続く古都ですから、見てみたい場所がいっぱいあるのですが、その中でも、東山に、霊山神社があり、そこに、かの坂本龍馬が眠っているのです。坂本龍馬という人は・・・」と延々とワクワクした表情で、話は続く。

これが、果実の差だ。

人が生きるということは、経験を積むということ。その経験から、何かを得て、次の経験に活かし、それを繰り返して、人として成長していくことだ。

そこに、教育というフィルターが入ることで、経験を何倍にも高めることが可能になるのだ。

それが、教養だ。

すると、同じ一生でも、深くて、豊かな一生、濃厚な、濃密な一生を送ることが出来るのだ。

教育は、人生を生きる原理原則を伝え、人を幸せにして、世界平和に貢献するものと、私は定義している。

自分を幸せにして、自分が生きることで世界平和に貢献できるように、自分をより高めていこう。





※『人が積んだ経験から何かを得て、そこに教育というフィルターが入り、経験を何倍にも高めていくことが教養』なのですね!

とても、わかりやすい文章だと思います。最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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