2017年02月17日
神社に関すること
今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガから【神社に関すること】(ブログ用にテーマを変更)を紹介致します。
今年の節分は初めて神社に行き、祈祷をしてきました。
神社の境内には砂利があって、そこを歩くと必然、身体に意識が向きますよね。
砂利とは、邪離と書くそうです。
邪とは、余計な思考のこと。
余計なというのは、湧き上がるインスピレーションを形にするために使われる思考ではなく、過去や未来の悩みに使われているもの。
砂利を歩くことで身体へ意識が向き、邪が離れていく。
本当は、境内ではお話をしない方がいいと聴きました。
それも、自分の思考ではなく、身体の感覚に意識を集中しやすくするためなのでしょうね。
そうやって5感が張り巡らされることで観察者としての意識に還ることで湧き上がるインスピレーションに気づきやすくなるんですね。
インスピレーションは「ちょっかん」という意味で捉えられることが多いと思いますが、ちょっかんという漢字には、「直観」と「直感」の2種類があります。
そしてこの2つには順番があり、直観→直感だそうです。
真っ直ぐ観る(観察する)ところに、感じることが湧き上がってきて(直感)、それを思考を使って言語化する。
そんな流れだそうです。
つまり、本当の直感を得るためには観察している必要があり、観察するためには5感を開く、身体感覚に意識を向ける、ことが必要となります。
私はこの状態のことをマインドがフルな状態としてマインドフルネスと理解しているのですが、マインドフルネス状態に還ることができるのが神社という場が持つ1つの機能なのかなぁと思います。
また、神社の奥には鏡があるワケですが調べてみたところ、鏡は、かがみ、か我み真ん中の我から離れるとかみと出会える、という意味合いで鏡が置いてあるという話を聴き、我から離れるために玉砂利も一役担っているように感じられてすごい仕組みだなぁ〜〜と勝手に思いました。
普段、思考・妄想にまみれている中でまた純粋な私自身に出会える場。
クリアリングさせてもらえる場。
それが神社なんだなぁと個人的に思っています。
※神社にある物について、いろいろ知ることが出来ました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Posted by makishing at 06:06│Comments(0)