2009年05月17日

徳永康起先生の【ある話】



〔ハガキ道に生きる〕の書籍や講演で、第一人者の、坂田道信先生の著書の一節の中に、複写ハガキの一番深い実践者の、徳永康起先生(教員です)とおっしゃる方が出てまいります。


その一節で、とても心を揺さぶる文章に出逢いました。御紹介致します。




ある時、クラスで工作用の切り出しナイフが紛失するという出来事がありました。「僕のナイフが盗まれた」・・・先生は、あっ、あの子が盗ったなというのが直ぐわかった。その子は金持ちで頭も良いのですが、母親が問題で、いつもその子を優秀な兄貴と比べて叱るのです。「お兄ちゃんがこんな良い子なのに」と。その日もその子は何か問題を起こして母親にお金を貰えなかったらしいのです。


先生は、直ぐに全員を校庭に出し、その生徒の机を開けてみました。すると、ナイフが見つかりました。徳永先生は、直ぐ自転車で金物屋に走り、同じナイフを買ってきて、なくなったと言う生徒の本にはさみ、机の一番奥に入れました。


生徒が教室に戻って来ると、徳永先生は「盗まれた」と騒いだ生徒に「君はあわて者だから、もっとよく調べてごらん」と言われました。


「先生、ありました」むやみやたらに人の心を疑うものではない、と言う教育。盗った子は涙をいっぱいためて先生を見ていたそうです。


ナイフを失敬した少年は、その後、航空兵を志願し、南方戦線に出動しました。優秀な米軍と明日は戦う事になった前夜、少年は徳永先生に宛てた“遺書”を書きました。


「先生、ありがとうございました。先生はあの時、私を黙って許して下さいました。私はあのナイフの一件で徳永先生の生き方を目指すようになりました。私の一生において徳永先生に出会った事は最高の喜びです。明日はお国のために飛び立っていきますが、先生、僕のような子供がいたら、どうぞ助けてやって下さい・・・・ありがとうございました。さようなら。」


そして、少年はニューギニアの空に散りました。


徳永先生は書いておられます。「私は、涙というものは、下を向いて流すもんじゃ思うとりました。ところが上を向いても涙が流れました。これほどありがたい事はない。」


徳永先生は、そのような人でした。





※感動しました。素晴らしい配慮、美しい教え方、個人攻撃をせず、教訓を全員に刷り込む事が出来、徳永先生の一つの素晴らしい生き方として、生徒達の心に永遠に根付き、離れない立派な教育方法ですね。



Posted by makishing at 06:37│Comments(14)
この記事へのコメント
 人を育てるのは、理論と愛情というのか、一見無意味に思えることも、一生を左右することがあるのですね。
 
 そして、人を育てる人に何倍も大きな喜びとなって帰ってくるのかなと、思います。

 
Posted by 中村 at 2009年05月17日 07:16
まだ15年も先ですが、私も定年します。営業は20年目。ぱっとしない作家活動は、16年目です。特筆できる功績はありませんが、今後の社会人活動として、お世話になったと心から判断できる人に、何らかのお役に立てる行為ができたらと強く思います。この先生の教育はすばらしいですね。14歳の子供の親として、参考になりました。
Posted by 榊原智 at 2009年05月17日 07:46
中村様

訪問、ありがとうございます。中村まさ子様ですか?おっしゃる通りですね。何に関しても、‘一見無意味に思えることも、一生を左右することがある’のですよね!考えて行動致します。

〔喜びの種を撒こう〕が、ダスキンさんの合言葉になっていますが、私も“奉仕の精神”を、いつまでも持ち続けてまいります。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月17日 07:54
榊原智様

訪問、ありがとうございます。毎朝、「今日は、どのテーマを出そうか」と思案しますが、今日徳永先生の分を掲載して良かったです。榊原様の作家活動は、今までも社会に貢献出来ていると思います。

何気に、さりげなく優しさを持って行動したいですね。私も、より一層意識してまいります。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月17日 08:05
 私の中学の時の理科の担任(今は他界)は、徳永先生とまでは行きませんが、受け持ちのクラスメンバーを信じて、どのような時も怒らず、しっかり言い分を聴き、時には厳しく叱り、時には体一杯抱きしめて、辛い・苦しい時には一緒に悩み・泣いて、楽しい・嬉しい時には一緒に大きな声で喜んでくれました。私自身、中学を卒業してから、亡くなられるまでお付き合いさせていただき、先生からの一番の教え「信じた相手をどれだけ思っているかは、悪しき事が起きた時に、どこまでも信じて励ましてあげられるか・・・」だと。このような先生は今も居られるのでしょうか?素敵な先生に出逢えた事が、私にとって大きな財産になりました。
Posted by 杉山 久美子 at 2009年05月17日 09:39
杉山久美子様

訪問、ありがとうございます。‘クラスメンバーを信じ、怒らず言い分を聴き、厳しく叱り抱きしめて、一緒に悩み・泣いて、一緒に大きな声で喜んでくれる’最高の恩師ですね。どこまでも信じて励ましてあげる事は、もの凄く難しい事ですが、それを座右の言葉にされていたのは、御立派な方ですね。

今は、『杉山久美子さん』と言う素晴らしい先生が、私には、御縁を頂いております。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月17日 11:15
お世話になります。

先生は咄嗟の判断で生徒を校庭に出されたのですね。
一瞬の判断が、少年の生き方を左右したわけです。

先生の教育理念に迷いがあれば、その配慮には時間がかかったやもしれません。
誰かの人生に影響を与える生き方。同じ一生ならそんな生き方をしたいと僕も思います。

時には一瞬の判断、たった一言でも生き方が滲み出ることがある。

もっと信念をもって、一瞬を大事に生きねばと思いました。

有難うございました。
Posted by 徳永 光之 at 2009年05月17日 12:04
徳永光之様

訪問、ありがとうございます。

一瞬の判断が、その後の生き方や人生を左右する事、少なくありませんね。

徳永光之様は、実は誰かの人生に影響を与える生き方、していると思います。

信念と理念を持ち続けて、且つその軸がぶれない事が、肝要ですね。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月17日 13:06
人は誰でも良くなれる(成長できる)と「信じる」ことが大切ですね。
徳永康起先生は行動で「信じる」ことを実践されましたが、「信じてるよ」と口に出して言うことも、相手だけでなく、自分自身に元気を与えてくれます。

不安・不信の世の中なので、とても大事なことですね。
Posted by 伊集院雅人 at 2009年05月17日 19:08
伊集院雅人様

訪問、ありがとうございます。行動での「信じる」実践と、「信じてる」と口に出す実践、両方必要な事ですよね。

不安・不信・不便・不満、沢山の“不”を解決や解消し、お役立ちをする事が、肝要ですね。

明日も、宜しくお願い申し上げます。楽しみにしておいて下さい。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月17日 22:01
「教育とは、教えることと育てることである。教えることはできても育てることは

なかなかできないものです。育てるとは、その人を見守り、あたためることで

ある。」とある研修で教えて頂きました。

教育は本当に大変なことだと思います。人をあたため、その人が自ら殻を破

り、心をオープンにさせられるように見守ることがいかに大事かがわかるお話

だと思います。

素晴らしいテーマを有難うございます。
Posted by 北島 俊彦 at 2009年05月17日 22:28
北島俊彦様

訪問、ありがとうございます。教育=教える事+育てる事ですね。ありがとうございます。

育てる=見守る事+暖める事ですね。

これは、まさに『コーチング文化』の領域ですね。

心をオープンにして、能動的に出来るまで見守る事・・・難しいですね。

一昔前に“恐怖政治”と言う名の、押さえ付け教育なるものが横行しましたが、一人ずつの自主性や特性、性格を留意して、伸ばしていく教育を、徳永先生は地で行っていた、と言う事になります。

素晴らしいと思います。このような先生が、これから沢山活躍して下さる事を祈念しております。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月17日 22:45
徳永先生の話、感動しました。

悪いことがおきても、相手を信じぬくこと。

自分の気持ちが必ずその子に伝わると信じておられたんでしょうね。

なかなか自分にはそこまで相手を信じることができないですね。

本当に感動しました。
Posted by 晴山 力 at 2009年05月18日 08:21
晴山力様

訪問、ありがとうございます。

“悪いことがおきても、相手を信じぬく”なかなか出来ませんね。

信じる気持ちが強ければ、大丈夫なんでしょうね。

“信じることが出来ること”これも、日々の鍛練で出来るかもしれませんね。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年05月18日 11:31
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