2009年07月08日

【レッテル張り議論考】



日経新聞のある日の新聞で『レッテル張りの議論はやめよう』と言う記事が載っていました。面白そうでしたので、御紹介します(要約)。




日本では「レッテルを張って終わり」と言う議論がしばしば見られる。これには次のような問題がある。


第1に、誰を相手にしているのか分からない場合がある。例えば、「市場原理主義は誤りだった」と言う議論がある。そもそも全ての経済活動を市場原理主義で律するべきと考えている人は存在しない。


本当に議論すべき事は、市場に任せる分野と規制すべき分野を区分し、必要な規制をいかに効率的に実施するか。しかし、レッテル張り議論からは、それが出てこない。


第2に、レッテル張り議論は、表面的な現象に目を奪われて、本当の問題を見過ごす。例えば、「世襲の代議士は制限すべきだ」と言う議論があるが、親が代議士だったからと言って、子供が代議士になってはならないと言う理由は無い。


本当の理由は、2世議員が多くなるという表面的な現象ではなく、候補者同士の政策論争が分かりやすい形で有権者に提示されていない事だ。知名度が決定的となり、タレント経験者・親が代議士が選ばれやすくなる。この2世議員が選ばれやすい仕組みを問題にすべきだ。


第3に、レッテルそのものにマイナスの価値判断が含まれている為、善悪の判断がされやすい。


例えば、「天下りは廃止すべきだ」と言う議論の「天下り」の言葉そのものが「役人が権力を利用して利益誘導を期待する職場に舞い降りる」イメージを連想させやすい。


しかし、公務員についても再就職の機会を提供することは必要である。本当の問題は、それが税金の無駄遣いや、過剰な規制に繋がらないようにする事だ。


レッテル張り議論は、本来必要な丁寧な議論を入り口の段階で切り捨て、言論の質を著しく低下させるものだ。





※《レッテル張り》を3つの角度から解説しています。この言葉は、普段比較的よく使われます。しかし、この言葉について、解説している文章は、私自身初めてお目にかかりました。使い方に気を付けましょう。
  


Posted by makishing at 06:11Comments(4)