2010年08月25日

甲子園探訪《永久欠番》


今年も夏の高校野球が終わり、プロ野球公式戦のないある日、先日行った甲子園球場に一人、ブラッと立ち寄りました。新しい甲子園球場になってから久し振りに行った私は、球場周りの変化をゆっくり観たかったからです。そこで、永久欠番についての説明書きの石碑がありました。紹介致します。





『比類なき勲章、栄光の数字「永久欠番」』


さまざまなスポーツ界において、その道で類稀なる偉大な成績を残した選手を称え、その栄誉と功績を後世にまで伝承させるために、その背番号を欠番扱いとする制度。

メジャーリーグで初めて制定したニューヨーク・ヤンキースでは1939年、第1号となったルー・ゲーリック内野手の「4」に始まり、ベーブ・ルース「3」、ジョー・ディマジオ「5」ら、錚々たる名前が並んでいる。

日本プロ野球においては、1947年、巨人の沢村英治投手の「14」が第1号。そしてタイガースでは1958年11月30日、この年限りで現役を引退した藤村富美男選手の背番号「10」が、球団史上初めての永久欠番となった。

以降、1972年の現役引退と同時に村山実投手の「11」が栄光の数字となり、吉田義男選手の「23」は彼の現役引退以降、その背番号を付けるにふさわしい選手が誰一人現れず、その後監督としてタイガースを初めて日本一に導いた翌々年、1987年に3番目の永久欠番となっている。





※球界の歴史を後世に残す『永久欠番』。

日本球界でも、様々なスター選手が活躍しています。しかしながら、その中でも頂点を極め、記憶に残した偉大な選手にのみ、与えられる称号が『永久欠番』なのですね。

改めて、勉強しました。読んで頂き、ありがとうございました。
  


Posted by makishing at 06:11Comments(2)