2013年06月06日

石見銀山の‘文化的景観と普遍的価値’


今年、休みを利用して、世界遺産である、島根県の石見銀山に行きました。

その時に頂いた観光案内パンフレットから、紹介致します。





【石見銀山遺跡とその文化的景観】



石見銀山は、1526年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見されて以来、1923年の休山まで約400年にわたって採掘されてきた世界有数の鉱山遺跡です。

大航海時代の16世紀、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在でした。16世紀半ばから17世紀はじめには、世界の産銀量の約3分の1を占めた日本銀のかなりの部分が、石見銀山で産出されたものだったと考えられています。

石見銀山で産出された銀は高品質で信用が高く、アジア諸国とヨーロッパ諸国を交易で繋ぐ重要な役割を果たしていました。

2007年7月、環境に配慮し、自然と共生した鉱山運営を行っていたことが特に評価され、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産に登録されました。(注)文化的景観・・・人間が自然と共生する中で育んできた景観地





【石見銀山遺跡がもつ世界遺産としての普遍的価値】



<1>世界的に重要な経済・文化交流を生み出した

16世紀、石見銀山では、東アジアの伝統的な精錬技術である灰吹法(はいふきほう)を取り入れ、良質な銀を大量に生産しました。日本史上まれな銀生産の隆盛により、大量の銀が貿易を通じ、16世紀から17世紀の東アジアへ流通したことで、東西の異なる経済・文化交流が行われました。



<2>伝統技術による銀生産方式を豊富で良好に残す

江戸時代の石見銀山では従来の伝統技術による銀生産が続けられました。しかし、明治維新を迎えた19世紀後半以降、ヨーロッパの産業革命で発展を遂げた新技術が導入されましたが、銀鉱石が枯渇したために鉱山活動が停止しました。その結果、今日、石見銀山遺跡には鉱山開発の伝統的技術による銀生産の跡が良好に残されました。



<3>銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示す

石見銀山遺跡は、銀の採掘から精錬、搬出に至る鉱山運営の全体像を不足なく明確に示しています。また、銀山に関係する遺跡と豊かな自然環境が一体となって文化的景観を形成する例は、世界的に極めて貴重です。





※いろんな要素が折り重なって、現在の石見銀山遺跡が残ったのですね。

途中で枯渇したというのも、今の状態が残る一つの大きな出来事ですし、精錬方法なども全世界的にも珍しい内容だったことが、世界遺産というものを形づくったのですね。
  


Posted by makishing at 08:02Comments(0)