2020年08月16日

典型的な日本語【15】


今日は、『間違えると恥ずかしい日本語500』からです。

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☆:×二の舞を踏む→○二の舞を演じる

「二の舞」とは、人のあとに出てそのまねをすることから、転じて、人のした失敗を繰り返すことを「二の舞を演じる」という。この「二の舞を演じる」と、ためらうという意味の「二の足を踏む」とを混同した結果が「二の舞を踏む」だろう。さらには、意味が似ている「ドジを踏む」からの連想もあるようだ。




☆:×嫌気がする→○嫌気がさす

正しい慣用句としては、「嫌気がさす」。これを「嫌気がする」といってしまうのは、不快な寒さを感じることを「寒気がする」というせいかもしれない。「~がする」としたいなら、嫌だという気持ちが生じるという意味の「嫌気がさす」とは微妙にニュアンスが異なるが、「嫌な気がする」といえばいい。




☆:×笑顔がこぼれる→○笑みがこぼれる

「こぼれる」は、隠れていた感情などが抑え切れずに外に出ること。「笑顔」は笑った顔のことだから「顔」がこぼれるというのはおかしい。笑みのこぼれた顔が笑顔なのだから、「笑みがこぼれる」とするべきだ。「笑顔」を使うのであれば「笑顔をみせる」という言い方もある。




☆:×二の句が出ない→○二の句が継げない

呆れたり驚いたりして、つぎにいうべき言葉が出てこないときは、「二の句が出ない」ではなく、「二の句が継げない」という。「二の句」とは、もともとは、雅楽の朗詠の詩句を三段に分けて歌うとき、その二段目の詩句のこと。二段目は高音で歌うため、つづけて歌うと息が切れることが多く、むずかしいことから、こういわれるようになった。




☆:×見ると聞くとは大違い→○聞くと見るとは大違い

「聞くと見るとは大違い」は、話に聞いていたことと、じっさいに自分の目で確認するのとでは大変な違いがあるという意味。これを「見ると聞くとは」と順番を逆にしてしまったら、諺として成立しない。じっさいにみてみると、聞いていた話と違って、期待を裏切られたという、悪い意味で使うのが一般的。





※約2年ぶりの、このシリーズ掲載です。

全く知らないのが、一つありました。間違いようが、無いですね。

『無知の知』を、改めて認識しました。

今後共、このシリーズをお楽しみください。  


Posted by makishing at 08:57Comments(0)