2020年08月20日

謙虚ということ


今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガから【謙虚ということ】を紹介致します。

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【謙虚ということ】


致知出版のメルマガから。

以前も紹介しました芳村思風氏の「人間の格」という著書からのお話です。
文章は少し言い回しが難しいようなところがありますが、例えを含め納得のお話です。

芳村氏のお話をどうぞ。



「苦中の苦を喫せずんば人上の人たり難し(苦しみの中の苦しみを通り抜けてきたような人間でないと人の上立つような人間にはなれない)」
──『人間の格』より

【時間的価値と空間的価値より】

「罪の意識を持つ」

人間において、不完全性の自覚から滲み出る謙虚さほど大事なものはありません。
よく真善美というが、如何なる素晴らしいものも、その根底の謙虚さを失えば人間的な価値をすべて喪失します。

なぜか。どんな美人でも傲慢な美人は、もうすでに人間的な美しさを感じさせない。
どんな善でも傲慢な善は、すでに偽善である。
決して人間的な価値を持たない。
また如何なる真理といえども、如何なる正しさといえども、強圧的で傲慢な真理の主張は人間的な在り方において正しいとはいえない。

それによって人間は喧嘩をし、戦争をし、殺し合うのです。
だから、如何なる正しさといえども、如何なる真理といえども、人間関係を破壊するような仕方で、その正しさ、その真理が主張されるならば、その正しさ、その真理は悪になる。

根底に謙虚さを見失ってしまった時、人間の世界は根底から崩壊するのです。
如何なる美人でも、傲慢な美人はもうすでに美人ではない。美しさを感じさせない。
如何なる善も根底に謙虚さをなくしてしまった時、傲慢な善になった時、それはすでに偽善になってしまう。

謙虚さがあってこそ、はじめて善は人間的な善良さを持つのである。
傲慢になってしまった時、如何なる価値も一瞬にして人間的価値を、人間的意味を喪失する。

親切も、傲慢な親切は一種のお恵みでしかない。
恩着せがましいものになってしまう。
人間的な行為は、すべて根底にこの謙虚さがあってこそ、はじめて人間的意味を持つといわなければなりません。
謙虚さを見失った時、人間は人間であることを原理的に失格するのです。
だから、人間はその時、必然的に頂点から引きずり落とされてしまうという結果を招来します。

それでは、どうすれば謙虚さが滲み出てくるのでしょうか。
そのために、常にある意味で自分自身を罪の意識の中に置くことが非常に大事です。
突然こう聞くと、少し極端に思われるかもしれないが、不完全性を本質とする人間においては、それを思い出すだけで穴があったら入りたい、穴を掘ってでも入りたいという気分になってしまうほどのことを自分の中に持つことが人間として当然であり、大切なことなのです。





※素晴らしい文章です。

『謙虚さ』を、常に持ち続けてまいります。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。  


Posted by makishing at 08:27Comments(0)