2021年09月09日

「自由」の本当の意味 


今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガから【「自由」の本当の意味】を紹介致します。

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皆さんは、もし曲がりくねった松の木を 「まっすぐに見てください」と言われたら、どうするでしょうか。

まっすぐに見える角度を探す?

真上から松の木を見てみる?

はたまた・・・。

実はこれ、とんちで有名な、一休禅師のお題です。

そういうことなら・・・と、

何かひらめいた方もいるかもしれませんね。

今回ご紹介する本は、岡本一志さんの著書『心が「ほっ」とする ほとけさまの50の話』(三笠書房/王様文庫 刊)です。

著者の岡本さんは、全国仏教カウンセリング協会という、一般社団法人の代表を務めておられます。

日本全国で講演会を開催する傍ら、仏教の教えに基づいたお悩み相談も行っているのだそうです。

この本に書かれているのは、ほとけさま、つまりお釈迦さまが、今から2600年ほど前に説かれた仏教の教えがベースになっています。

「仏教」というと、宗教はちょっと・・・という方も多いかもしれませんね。

でも、仏教は哲学に近い、という意見を述べる方も、結構多くいらっしゃいます。

実際、私たちの生活の中にも、仏教は知らず知らずのうちに入っていたりします。

例えば、「愛嬌」。

「あの人は愛嬌があるよね」なんて使ったりしますが、この言葉も元々は仏教用語だったそうです。

元々は「愛敬(あいぎょう)」、仏・菩薩の優しく温和な様子を〈愛敬相〉といい、また、人々の和合親睦を祈り、互いに愛し敬う心を起こさせる行動を〈愛敬法〉というのだとか。

そこから、読みや当てる漢字が変わって「愛嬌」になったという説があります。

他にも「出世」や「工夫」なども元々は仏教用語から来ているのだとか。

そう考えると、仏教は私たち日本人にとって、比較的取っつきやすい考え方なのでは?と思ったりもします。

さて、この本の中では「自由」という言葉について、紹介されています。

実は「自由」も、遡ってみると仏教用語が由来になっている言葉です。

「自らに由る(みずからによる)」と読み、本来の自分に立ち返るということ。

これが、「自由」の元々の意味です。

本来の自分の気持ちや、本当に自分がどうしたいのか?を感じることができたなら、あなたはすでに「自由」です。

この状態に立ち戻ることができたならば、「こうしなければならない」とか「こうするべきだ」といった、外側からの情報や、常識に惑わされず、本当に自分がどうしたいのか、を感じて選択・行動できるようになるはずです。

それこそが、自分の人生をあるがままに、自由に生きるということにつながるのではないでしょうか。


さて、冒頭でご紹介した一休禅師のとんち問答ですが、答えが気になっている方も、いらっしゃるかもしれませんね。

この話を聞いた蓮如上人というお坊さんは、「なに、わたしはもうまっすぐに見たよ」と言ったそうです。

蓮如上人曰く、この曲がった松を「曲がった松だなー!」と見たと言います。

曲がった松を「曲がった松だ」と見る。

物事をありのままにみること。

それこそが「まっすぐに見る」ということ。

自分の想いや都合を入れず、物事をあるがままに見る。

これが正しく見る、「正見」と言います。


私たちはついつい、「こうした方が良いんじゃないか」「こうした方が得するかも」「こう思うけど、言ったらどう思われるか」など、自分の気持ちですら曲げて、見てしまうことがあるのではないでしょうか。

自分の気持ちや、心のありようを「まっすぐに見る」。

これこそが「自由」への第一歩、なのではないでしょうか。


現代社会の悩みや不安を仏教の教えを通じて解決していく。

古くから伝え繋がれているもの、だからこそ、現代の私たちにも役に立つことが多いのかもしれません。


他にも、まさに心が「ほっとする」お話がたくさん紹介されていますので、ぜひ一度読んでみていただきたい本です。



(参考資料)

『心が「ほっ」とする ほとけさまの50の話』

(岡本一志著 三笠書房/王様文庫 刊)





※『自分が、本当はどうしたいのか、感じる』のが自由なのですね!

ものすごく深いと思います。

普段使う日本語が、仏教から来ている用語だったのを知り、仏教に親近感が沸きました。

世の中、朗らかに生きにくい感じになっていますが、真髄を突くと、いたってシンプルなのかも、しれません。

本日も、ありがとうございました。
  


Posted by makishing at 08:26Comments(0)