2022年10月02日

アントニオ猪木さん死去


今日は、読売新聞10月2日(日)社会面より【アントニオ猪木さん死去】を紹介致します。

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「燃える闘魂」と呼ばれた元プロレスラー、アントニオ猪木(あんとにお・いのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが(10月)1日朝、心不全で死去した。79歳だった。日本のプロレスの黄金期を牽引し、参院議員も2期務めた。2019年に難病「心アミロイドーシス」を発症して闘病中だった。葬儀は家族葬で行う。後日、お別れの会を開く。

1943年、横浜市生まれ。13歳の時に一家でブラジルに移住し、コーヒー農園で働きながら、砲丸投げの選手として活躍。17歳の時、ブラジル遠征中だった戦後のプロレス界のスター・力道山にスカウトされ、日本プロレスに入門した。

ジャイアント馬場さんと同時にデビューし、力道山の死後の72年に新団体・新日本プロレスを旗揚げ。「卍固め」「延髄斬り」などの技で、別団体を設立した馬場さんとプロレスブームを巻き起こした。

76年にはボクシング・ヘビー級世界チャンピオンだったモハメド・アリと対戦し、「世紀の一戦」として注目を集めた。

89年にスポーツ平和党を結成し、参院選比例代表で初当選。90年にはイラクで人質となった邦人の解放に尽力した。北朝鮮をたびたび訪れるなど、独自の外交活動も繰り広げた。

ほおを平手打ちする「闘魂注入ビンタ」、「元気ですかー!」「1、2、3、ダーッ」と声を張り上げるパフォーマンスはプロレスファン以外にも親しまれた。





※とうとう、アントニオ猪木さんも他界してしまいました。

小学生時代、プロレスラーと言えば、アントニオ猪木さんでした。

毎週金曜日のゴールデンタイムに、テレビで新日本プロレスの試合を、観戦していました。

猪木さんは亡くなってしまいましたが、沢山の方々の記憶には、永遠に残ると思います。

猪木さん、ありがとうございました。  


Posted by makishing at 09:51Comments(0)