2013年09月30日

【犬養毅】


今日は7月13日読売新聞『人物抄』からです。





【犬養毅】



1855(安政2)年、備中国(現・岡山県)の庄屋に生まれた。慶応義塾在学中、学費捻出のため寄稿していた郵便報知新聞の従軍記者として西南戦争に赴き、迫真の筆致で人気を博した。退社後も、新聞業界との縁は切れず、「東海経済新報」や「秋田日報」の経営に関わった。

90(明治23)年、初の衆院選で岡山3区から立候補して当選。98(明治31)年の大隈重信内閣時代に文相で入閣を果たす。第1次護憲運動では、尾崎行雄と共に先頭に立ち、2人は「憲政の神様」と並び称された。普通選挙実現に情熱を傾け、1920(大正9)年、選挙権、被選挙権ともに20歳以上とする革新的な案を発表した。

国民党や後身の革新倶楽部での小政党暮らしが長く、普選法が成立した25(大正14)年、政友会との合流を果たし、政界引退を表明した。しかし、引退を惜しむ地元・岡山の支援者は、本人の意向をよそに、その後も犬養を当選させ続けた。信州で静養していた29(昭和4)年、急死した田中義一の後継として政友会総裁に担ぎ出され、31(昭和6)年に犬養内閣を発足させたが、翌年、5・15事件で暗殺される。享年76歳。





※ストイックな生きざまだと、思います。

骨っぽい人が、日本の礎を築いてくれていたのですね。



Posted by makishing at 07:57│Comments(2)
この記事へのコメント
今回の記事をきっかけに、名前しか知らなかった犬養毅を少し調べてみました。
彼の壮絶な最後にとても心が捕まれました。
自分を暗殺しに来た者を、応接室に招き、言葉で説得しようとする。
「話せば分かる」の名言はここから産まれたということも、恥ずかしながら、先程知りました。
本当にスゴイ人だと思います。
Posted by 前田雄飛 at 2013年09月30日 11:14
前田雄飛様

訪問、ありがとうございます。

今回の記事をきっかけに、犬養毅を調べてみたとのこと、素晴らしいと思います。

「話せば分かる」と、私も思うことがありますが、果たして最近の私たちは、本当に話し合っていますでしょうか。

インターネットやメールなどに頼りきっていないでしょうか。

今回頂いた、このコメントから、そんなことを考えました。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2013年10月01日 06:15
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