2014年01月07日

手塚治虫さんの少年時代


今日は、息子の小学校時代の教科書『新しい国語五下』(東京書籍)から手塚治虫さんの記述(国松俊英氏:文)の一部分を、要約して紹介致します。





「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ブラック・ジャック」「火の鳥」。これらの作品を全て生み出したのは、漫画家、手塚治虫である。

小学生の頃、漫画を描き始めた治虫は、60歳で亡くなるまでひたすら漫画を描き続けた。苦しんだり悩んだりしながらも、常に新しい漫画の世界を探し求め、創造を続けていった。

生涯に描いた漫画の原稿は、15万枚、作品は700編にもなる。アニメーションも、約60編作った。治虫は、それまで日本になかった、ストーリー漫画の世界を切り開き、漫画が素晴らしい芸術であることを証明したのである。



治虫は体操は苦手だったが、図画や工作は得意だった。3、4歳の頃から、絵を描く楽しみを覚え、小学校に入学するころには、絵が大好きになっていた。

漫画を描くのも得意だった。母は子供向けの漫画本を、よく買ってきてくれ、治虫(本名は治)はそれを繰り返し読んでセリフ・場面を暗記したり、主人公の絵を描いたりした。

小学校での治は、いじめられっ子だった。どうしたら、いじめられないようになるか、治は考え、自分に出来ることを見つけ、漫画を描いて見せると、いじめっ子たちは驚いた。その出来栄えに誰も感心して、いじめはなくなっていった。

治が描いた漫画を回覧してみんなが楽しむようになったある日、漫画を読んでいた女の子が先生に見つかり、ノートを取り上げられた。二度と漫画を描いたらいけないと言われると覚悟を決めた治だが、先生はよく出来ていると褒めてくれたのだ。「手塚は大人になったら、漫画家になれるかもしれないよ」治は最初びっくりし、次には飛び上がりたいほど、嬉しい気持ちになった。先生は、治の漫画を認めてくれ、大きな自信と勇気を与えてくれた。





※素晴らしい文章が、小学校五年生の国語の教科書に載っていました。

この文章中から、沢山の学びが発見できます。今年一年、いい年にするには、手塚少年の思考と行動を学ぶべきだと思います。



Posted by makishing at 06:02│Comments(2)
この記事へのコメント
大垣女子短大の篠田ひでお元教授は、手塚先生の門下生。私が子供のころから憧れていた作家になる上で、お世話になりました。手塚先生はいじめられていたんですね。私も火傷で苦労しました。ピュアな気持ちの重要性を一人でも多くの方に気づいてほしいです。
Posted by 原誠 at 2014年01月07日 21:23
原誠様

訪問、ありがとうございます。

手塚治虫さんの門下生の先生から教わっていたのですね。

『ピュアな気持ちの重要性』大切にしたいと思います。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2014年01月08日 05:40
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