2017年02月23日
高槻市は寒天のふるさと?!
今日は、阪急電車に乗ろうとして、改札口前で目にした『OSAKAモノレールPRESS No207』(発行:大阪高速鉄道 大阪モノレールサービス株式会社)の〔沿線歴史モノがたり〕から【高槻市は寒天のふるさと?!】(若干テーマを変更)を要約して紹介致します。
ようかん、ゼリーなどの菓子材料に用いられる寒天は、テングサの粘質物を煮て、一旦トコロテンを作り、それを凍結、乾燥させて作られます。江戸時代初期に京都・伏見で作られたのが始まりとされ、その後、高槻で作られるようになりました。
1787〜88年に京都で作り方を学んだ高槻藩の原地区出身の宮田半平(1731〜1803)が地域に広めました。
当時は飢饉などあったので、保存食と新しい産業発展の為に始めたそうで、50歳を超えていた半平でしたが寒期の辛い作業に打ち込みました。
半平は工夫を重ね、真冬の屋外の寒天作りは均一凍結しないので、トコロテンを細くして表面積を増やし凍結乾燥の効率を改善し、安定製造できるようにしたのです。水量豊かな芥川・淀川水運がプラス材料となり、生産量を伸ばしました。
寒天作りは北摂各地に広がり、春からの米作り、冬は寒天作りで農民の生活は楽になり、徳川幕府にとって重要輸出品となりました。
※如何でしたでしょうか?
この冊子を手にすることがなかったら、この情報は全く知ることが出来ませんでした。
私は現在、大阪の北摂に住んでいます。もっと様々なことに、興味関心を持っていきたいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Posted by makishing at 06:13│Comments(0)