2021年10月20日

松坂大輔がボロボロになっても投げ続けたワケ


今日は、ヤフーニュースから【松坂大輔がボロボロになっても投げ続けたワケ】を要約して紹介致します。

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「僕みたいな選手は他にいないかもしれませんね。最初の10年でいい思いをしたけれど、後半は同じくらい、どん底を味わいました」

西武の松坂大輔投手は(10月)19日、本拠地メットライフドームでの引退試合(日本ハム戦)前に球団事務所で記者会見に臨み、23年間の現役生活を振り返った。“平成の怪物”は、相次ぐ故障に見舞われボロボロになってもなお投げ続けたのは、なぜだったのか。

確かに、現役生活の前後半は対照的だ。日米通算170勝(108敗)をマークした松坂だが、そのうち141勝(75敗)は新人時代の1999年から2008年までの10年間に挙げている。

苦闘の始まりはメジャー移籍2年目、レッドソックス時代の2008年だった。オークランド遠征中、足を滑らせて、ポールをつかんだ瞬間に右肩を痛め、同年オフに状態悪化。以降は投球フォームが大きく変わり、痛くない投げ方や、痛くても投げられるフォーム探しを続け、自分が求めるボールは投げられなくなった。

かつての剛速球は二度と投げられないとわかっていても、松坂は12年間、あがき続けた。歴代最多の通算868本塁打を誇る王貞治氏は、シーズン30本塁打を放った1980年に「王貞治のバッティングができなくなった」と名言を残し、バットを置いた。

“昭和の怪物”と呼ばれた江川卓氏は13勝5敗、防御率3.51の好成績を残した1987年に「自分本来の投球ができなくなった」として引退した。ボロボロになっても現役にこだわる松坂の生き様は、先人の美意識とは対象的に見える。

松坂自身「もっと早く、辞めてもいいタイミングはあった」と認める。現役後半、叩かれ批判されるのを力に変えて、跳ね返してやろうとする負けん気が原動力の一つではあった。

そしてもう一つ。松坂には横浜高3年の夏の甲子園で、強烈な成功体験を得た。PL学園との準々決勝で何度も敗戦の危機に瀕しながら延長17回の末、9対7で勝ち切った。松坂は250球で完投した。「あの試合があったから、最後まで諦めなければ報われる、勝てる、喜べると信じることができた。あの試合が原点でした」。

栄光だけではない。不遇の12年間を戦い続けることができたのも、平成の怪物ならではだったのだ。





※松坂大輔投手は、プロ野球ファンなら誰でもが知る、絶対的存在です。

ただ、後半12年間もの間、苦しみ続けたのは、こうして読ませて頂いて、改めて知りました。

美しく身を引く選手が多い中、ボロボロになるまで闘った松坂大輔さん。素晴らしい人です。

23年間、お疲れ様でした。ありがとうございました。



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