2014年02月19日

織田信長は本当に気が短かった!?


今日は、京都橘大学 歴史学科の資料『戦国時代の読み解き方』から【「殺してしまえホトトギス」信長は本当に気が短かった!?】を紹介致します。





*正親町天皇と誠仁親王に真逆の態度を見せた信長*


織田信長の性格について、気が短くて残酷、いわゆる「キレやすい」武将のイメージが定着しています。しかしこれも定かではありません。

信長は当時の一大勢力であった延暦寺を焼き討ちにします。その再興を図ろうとした正親町天皇の動きを徹底して止めます。一方、次期天皇候補の誠仁親王には元服の費用を工面したり、屋敷を「二条御所」として献上しています。天皇制を利用して天下を統一するために、誠仁親王に便宜を図るという冷静な一面があったのかもしれません。





*義昭を追放し、義尋を人質に室町幕府の存続を図っていた?*


信長は同じようなことを、足利将軍家に対しても行っています。信長は室町幕府第15代将軍の足利義昭を京都から追放します。しかしその息子である義尋を人質として預かり庇護しています。これについては後に義昭に代わって義尋を将軍に擁立し、室町幕府を存続させようと一時は考えていたからだという説があります。天皇や将軍などに反抗的とも思われる行動をする一方で、その子には援助や庇護を惜しまない信長。こうした態度からは、その場の感情だけで動く刹那的な人物ではなく、長期的な視点で自分を利に導く冷静かつ合理的な人物像が浮かび上がってきます。

信長は実際には朝廷や室町幕府をどうとらえていたのでしょうか。





※歴史上の人物が『本当はどうだったのか?!』というミステリアスな内容です。

事実はどうだったのか、会って確認した人は、現世にはいません。

皆様は、どう思われますか!?



上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。