2017年05月15日

心配という名の呪い


今日は、私のブログをよく読んで頂いている読者の方から「これ良くあるなと思ったのでシェアします」と、プレゼントして頂いた文章を紹介致します。





心配という名の呪い。
以前、気功の師匠に「誰かを心配するというのは、呪いだ」という話を聞いたことがある。

心配している本人からすれば、「まさか!相手の為を思っているのに!?」と衝撃を受けるかもしれないけれど、個人的には「なるほど!」と腑に落ちた。

心配、というのは、相手にネガティブなことが起きることを想定していないと、できない。

心配している本人が、どこまで視覚化しているかは分からないけれど、「相手が困っている、トラブルに合う」というイメージを脳内で創り出しているからこそ心配というものが生まれる。

相手がネガティブなことに遭遇することをイメージしているのだから、それは相手にとって、プラスのエネルギーを送っていないというのは、当然のように思う。

「じゃあ、どうすればいいのですか?」

師匠から、はじめて「心配は呪いである」という話を聞いた時、自然と発した質問がこれ。

師匠は答えた。

「心配じゃなくて、応援すればいいんだよ」。

つまり、相手がネガティブな状況になることをイメージするのではなく、相手が、さらなるハッピーな未来をつかみ取るのを脳内にイメージする。

そうすれば、相手はその事実を知っていようがいまいが、プラスのエネルギーを浴びることになる、とのことだった。

なるほどなぁ!

「心配しています」と、「応援しています」は、両方とも相手のことを思いやっての行為。

でも、脳内でイメージしている映像は真逆の未来なのかもしれない。

だとしたら、本当に相手のことを思うのであれば、プラスのエネルギーをイメージした方が(相手がそれを分からなかったとしても)好影響がありそうだよね。
そんな意味からすると、相手を思いやってのことなのに、いつのまにか「呪い」になってしまっていることは他にもありそうだ。

自分の意見に沿わせようとする時。

自分との関係性を考慮した上でのアドバイス。

相手をコントロールしようとするような態度。

そんな思いが、心のどこかにある時は、たとえその意見に正当性があったとしても、どこかで「呪い」になってしまう危険がはらんでいるのかもしれない。

「呪」という字は、「口」と「兄」からできている。

「兄」は、ざっくり「世話をするもの」の意。

口だけ達者に、相手をコントロールしようと世話するのは、きっと「呪」になる。
そうではなく、自分のことはひとまず置いておいて、相手の本当の幸せを願い、口だけでなく態度や行動を示す。

そんな心からのお世話になると、「示す」「兄」となり、それは「祝」という、あり方になるんだろうね。
だから、呪わず、祝おう。心配するのでなく、応援しよう。

私自身、ついついやってしまいそうになるけど、今年は特に気をつけていこうと思いますわ。





※私も、すごく腑に落ちました。

‘心配’せずに‘応援’しようと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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