2009年08月10日

【挨拶は時の氏神】



今日は、『ことわざハンドブック』からです。



【挨拶は時の氏神】


意味:けんかや争いごとをしている時の仲裁は、その事点で氏神さまのようなもの、気持ちよく従うのがよい。氏神が民衆にあがめられていた時代に生まれた言葉である。『挨拶』とは、この場合仲裁を意味する。〈仲人は時にとっての氏神〉の同意語があり、〈地獄で仏〉は類語。




※喧嘩の仲裁をしてくれる人なんて、凄く良い人ですよね。‘とばっちりを食うリスク’を背負っての行動ですからね。挨拶=仲裁なんですね。“人と人とが出逢い、心を開いて近づいていく”と言う意味があるのも、別の方のブログ(http://kusuri.tenkomori.tv/)で、勉強しました。
諺や言葉そのものの意味って、とても深いですね。



Posted by makishing at 05:23│Comments(4)
この記事へのコメント
おはようございます。一ノ坪です。
少し難しことわざですね。内容からすこしそれますが
仕事では、あまり喧嘩をしなくなった気が、
喧嘩にならなくなった?
本人は気付かず、他人から見たら喧嘩にみえるかも?
夏、祭り、喧嘩この組み合わせはこの季節、
イメージしやすいですね。熱い!

挨拶に仲裁の意味があるとは、なんとなく納得いたします。
仲裁に入ってもらったら、感謝して素直にきいて大切にいたします。
Posted by 一ノ坪英二 at 2009年08月10日 06:09
お世話になります。

初めて聞きました。

難しい諺ですね。
挨拶 = 仲裁…イメージ出来ませんでした。
いつか僕にも理解出来る日がくると思います。

ただ、この諺を知らなければ、その日は来なかったかもしれませんね。

今日も新たな知識を有難うございました。
Posted by 徳永 光之 at 2009年08月10日 07:37
一ノ坪英二様

訪問、ありがとうございます。

仕事で、喧嘩をしなくなりましたか。

一ノ坪英二様の現在の御立場が、争い事を激減させているのかも、知れません。

挨拶に仲裁の意味があるのは、私も知りませんでした。

仲裁に入る人は、勇気を持って行動していますから、敬意を払いたいですね。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年08月10日 07:58
徳永光之様

訪問、ありがとうございます。

挨拶=仲裁を知る事が出来、勉強出来たのは、紛れもなく私自身です。

この諺を執り上げて、良かったと思っております。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年08月10日 08:08
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。