2009年03月19日

“願”を持ちましょう


今日は、相田みつをさんが、昭和60年の秋、彼岸の中日に、おっしゃられた言葉を、御紹介します。




「願」と「欲望」とは根本的に違います。わずかな、お賽銭を挙げて、それも年一回の初詣の時ぐらいで、『家内安全。商売繁盛。お金がいっぱい出来ますように。』なんてね。

こういうのは個人的・私的な欲望です。それを私は否定しません。私も同じですから。しかし、そういう私中心の欲望とは全く別に、

○核戦争など絶対に起こりませんように
○世の中が、どうか平和でありますように
○山や海や河、そして土、水、空気、自然が、人間の作る公害で、これ以上汚れませんように



と、心から念じた時、それを「願」と言います。どんな小さな「願」でも心ひそかに持ち続けていると。顔がよくなり、眼の色が深く澄んできます。

一人一人自分に合った「願」を持ちましょう。

そして「一隅を照らす」人間になりたいものです。



※世界平和、世間満足、第三者満足、友人満足、身内満足、自分満足・・・こういう順番が、本当の“叶う願掛け”になるのかも、しれませんね。



Posted by makishing at 03:09│Comments(12)
この記事へのコメント
昔、イチローが年始のお参りに、頼みごとはしないと言っていました
いつもは何もしていないのに、たまにいってお願いばかり並べても聞いてもらえるはずがない・・・と
思うなら一年の感謝を言いにいくのが良いのかも

神様は欲の塊を、よし・よしと叶えてはくれないでしょうね
Posted by 尾上 正 at 2009年03月19日 06:42
尾上正様

訪問、ありがとうございます。

私は、友人の奨めで数年前より近くの神社に「月参り」として、毎月一日に参拝しております。

それ以外に時間に余裕がある時にも行きます。

たまに、御墓にも手を合わせに行きます。

『お願い』と言うよりも『頑張りますので、見てて下さい』的な感じにしております。

願いが叶う一番のポイントは“ベースに努力がある事”かな、と思っております。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年03月19日 07:38
願いとは、祈りであり、いつも思い続けていることだと思

います。依存心からのものではなく、生かされているこ

とへの感謝と、願いがかなうことへの誓いと決意だと考

えています。「念ずれば花ひらく」で有名な坂村真民さん

の詩に、「一人のねがいを 万人のねがいに 高めてゆ

こう 広めてゆこう」とあります。本当の願いはより多く

の人の願いにつながっていくのではないでしょうか。

「念ずるとは、前向きに生きようとすることであって、希望

である。どん底に落ちても、念じながら這い上がってくる

不屈の魂である。」と語っています。

含蓄のある言葉であり、肝に銘じて精進していきます。

素晴らしいテーマを有難うございました。
Posted by 北島 俊彦 at 2009年03月19日 10:17
「願掛け」・・・・、子供が小さい頃はこの気持ちで、毎日ご先祖の仏壇に手を合わせておりました。今は両親の仏壇に毎朝手を合わせ、「今日の命に感謝」と、生かされていることにひたすら感謝の「念」を伝えています。夕刻帰宅したときには、「今日も一日ありがとう」で締めくくっています。
明日は、お彼岸の中日です。お墓参りで先祖への供養をして参ります。ありがとうございます。
Posted by 杉山 久美子 at 2009年03月19日 11:39
北島俊彦様

訪問、ありがとうございます。

素晴らしい御言葉、ありがとうございます。

私が申し上げるのは、恐縮ですが、最近、北島俊彦様は、人が替わったかのようです。

「念ずれば花ひらく」の坂村真民さんの詩も、ありがとうございます。「一人のねがいを 万人のねがいに 高めてゆこう 広めてゆこう」・・・非常に深くてズッシリ来る言葉です。


「念ずるとは、前向きに生きようとすることであって、希望である。どん底に落ちても、念じながら這い上がってくる不屈の魂である。」も、表現しようのない位の言葉です。

これからも、勉強させて下さい。御指導、宜しくお願い申し上げます。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年03月19日 13:05
杉山久美子様

訪問、ありがとうございます。ご先祖の仏壇に手を合わせる気持ちは、絶対に無くしては、いけませんね。生かされている事に“ひたすら”感謝してまいります。

私の場合は、皆々様のお陰で今があります。日々、感謝の連続です。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年03月19日 13:13
小さな「願」を持ち続けることでその人の『在り方』が変わるのでしょうね。
私も自分のできる事へ集中し、「一隅を照らす」人間になりたいです。
Posted by 伊集院雅人 at 2009年03月19日 16:12
伊集院雅人様

訪問、ありがとうございます。小さな「願」の積み重ねが大切なのですね。伊集院様は、既に「一隅を照らす人間」になっておられます。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年03月19日 16:22
お世話になります。

「願」と言われて随分考え込んでしまいました。
(あったかしら…)

日々己の欲望にのみ生きている証拠ですね。
そんな自分ですので俄かに「願」も浮かびませんが、周りの人に支えられて生かされている事への感謝だけは忘れぬように致します。
有り難うございました。
Posted by 徳永 光之 at 2009年03月19日 18:36
「願」ですか 

私は まずは わたしの周囲のひとが 常に笑顔ですごせるような 環境の担い手でありたいです

そして まだまだいたらぬ身ですので

みなみなさまの ご指導ご鞭撻いただきたいとおもっています

考えるチャンスをいただけた このブログ および ブロガーに

感謝です

 ありがとうございます
Posted by やなぎもと at 2009年03月19日 22:15
徳永光之様

訪問、ありがとうございます。

『周りの人に支えられて生かされている事への感謝』だけだと思います。

わかっていない事は、無いと思います。

ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年03月20日 00:12
やなぎもと様

訪問、ありがとうございます。

私も、ご指導ご鞭撻頂きたいと思っております。

感謝して頂き、光栄です。
ありがとうございました。
Posted by 牧野眞一 at 2009年03月20日 00:26
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