2014年01月13日

やしきたかじんさんの名言・武勇伝


先日、残念ながら、歌手のやしきたかじんさんが、亡くなってしまいました。

テレビ番組の司会などでは、豪快な立ち振り回りと歯に衣着せぬトークで、毒舌っぽいイメージがあるように言われていましたが、繊細で心暖かな部分が、浮き彫りになりました。

今日は、やしきたかじんさんが残した名言や行動の武勇伝をテレビ番組で採り上げていましたので、紹介致します。





・井上公造さんに言った言葉→「自信なさげに言っている人(芸能レポーター)には、誰もついてこない。だから『思います』と言わずに『です』と断言しろ。」



・井上公造さんが駆け出しの頃、芸能レポーターとして東京で売れない時期を過ごしていた時、関西で一旗あげて売れたいとしていたのを知り、相談に乗り「関西を舐めんなよ」と言いながら、関西で成功する足がかりをつくった



・トミーズ雅さんに言った言葉→「俺たちは金魚と一緒や。世間からエサ(お金)を貰わないと生きていけない。だから世間の人が納得する泳ぎをせえ。」



・ある日の晩、とあるビル(6階建て)に入っている飲み屋を見て「今からここに入っとる店、全部まわる」と言って18店全店まわったあと「おもろい人間だったら、これぐらいせえ!」と言い放った



・とある繁華街の呼び込みのお兄さんに「暴力バーがあるんやったら、行ったるわい!」と言って、入った店でビール2本で5万円と言われたら「暴力バーなら、もっと取らんかい!」と言って、10万円を叩きつけたら、そこから宴会が始まった



・太平サブローさんが、一度吉本興業を辞めたあと、戻りたいのを知り、東京からサブローさんを連れ戻して、吉本興業本社に出向き、社長の前で、一緒に土下座して頼んだ



・安倍晋三総理大臣が、二度目の総理大臣の出馬を悩んでいた時、山口県の安倍晋三さんのところまで行って話を聴き、選挙出馬の後押しをした



・橋下徹大阪市長が、大阪府知事になる時や、宮根誠司さんが、フリーアナウンサーになろうとする時、相談に乗り、そうなる後押しをした



・メッセンジャーの黒田さんが、飲食店で暴力事件を起こしてしまって謹慎中でテレビに出れない時期に、誰よりも心配し、よく酒や食事に連れ出して、「時期が来たら、なんとかするから」と相談に乗り、やしきたかじんさんの冠番組の司会者に黒田さんを起用するという形で、復帰の下支えをした





※やしきたかじんさんの、テレビの中で見せる一面と、それ以外の部分を感じました。

逝ってしまわれたのが、非常に残念です。慎んで、御冥福をお祈り致します。
  


Posted by makishing at 08:19Comments(3)