2023年07月26日

夢の国、実は数々の挫折から生まれた?


今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガから【 夢の国、実は数々の挫折から生まれた?】を紹介致します。





若い頃にイラストレーターとして勤めていた新聞社を「イマジネーションに乏しく、オリジナリティに欠ける」と言われてクビになった人物がいます。

それは、ウォルト・ディズニー・カンパニー創業者、「ミッキーマウス」の生みの親であるウォルト・ディズニーです。

ウォルト・ディズニー・カンパニーは米カルフォルニア州を本拠地とし、1923年にスタート。テーマパークやメディア・ネットワークの事業を展開しており、現在全世界の従業員数が20万人以上という大規模なビジネスに発展しています。

「夢見ることができれば、それは実現できる」
(If you can dream it, you can do it.)

これは、ウォルト・ディズニーの言葉で、私たちが持つウォルト・ディズニーのイメージに合ったものですが、最初にご紹介したとおり、若い頃に「イマジネーションに乏しく、オリジナリティに欠ける」というなかなか信じがたい理由で解雇されています。

実は、ウォルト・ディズニーの挫折はこれだけではありません。

新聞社をクビになったのを見かねた、兄のロイの紹介でぺスマン=ルービン・コマーシャル・アートスタジオに職を得ますが、1年経たず契約を打ち切られます。

そして、そのアートスタジオで知り合ったアブ・アイワークス氏(ディズニー創業期のアニメーターで、ミッキーマウスを共につくり上げた人物)を誘って「アイワークス・ディズニー」を設立しますが、わずか1か月で閉店休業に。

その後も自分の会社「ラフ・オーグラム・スタジオ」を設立、アイワークス氏をはじめとするアニメーターを雇い、本格的なアニメーションづくりに取りかかるも十分な収益を上げることができず、会社を畳みます。

1923年、再起のためにハリウッドへと向かい、兄ロイとディズニー・ブラザーズ社を設立。作品が大ヒットし、ディズニー社は急成長したものの、映画プロデューサーのチャールズ・ミンツ氏による社員の引き抜き工作を仕掛けられ、倒産寸前に追い込まれました。

そのような状況下で、それまでの経験からキャラクターの大切さを痛感していたウォルトは、再建をかけて、新しいキャラクターとして、作品のなかで度々登場させていたねずみをライバル役から主役に抜擢。これが、「ミッキーマウス」です。

ミッキーマウス誕生後は順風満帆だった、というわけではなく、映画が興行的に失敗して大赤字に陥ったり、ディズニーのテーマパークの建設も、当初は市(カリフォルニア州アナハイム)から拒否されるなど苦難の道を歩んでいます。

こうした経験をしているディズニーだからこそ、夢見ることができれば・・という言葉に一層重みが感じられますね。

「失敗したからって何なのだ?失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか」
(ウォルト・ディズニー)

多くの人は挫折してしまうと夢を見続けることや夢を実現するための努力をしなくなってしまうのではないでしょうか。

ディズニーの、失敗から何かを学び、挑戦をし続ける姿勢、見習いたいものですね。





※ウォルトディズニー氏が、数々の失敗から這い上がった話は知っていましたが、ここまで詳しくは知りませんでした。

一回や二回の失敗で、クヨクヨせず、前に向かって進みましょう。

ちなみに、ミッキーマウスが主役になるまでの主役は、ウサギのオズワルドだったそうです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。



Posted by makishing at 08:25│Comments(0)
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