2015年07月11日

普段、人とどう関わっているかが、出会いの質を決める


今日は、いつも楽しく拝読させて頂いているメルマガから【普段、人とどう関わっているかが、出会いの質を決める】を紹介致します。





突然ですが、

「メンターという言葉を知っていますか?」


数年前から、個人や会社において流行っている言葉です。

メンターというのは、語源から言うと、精神的に影響を受けたい人という意味なのですが、シンプルに言うと、「この人のようになりたい」と思う人のことを指します。

自己啓発本を中心に、「メンターをもちなさい」というメッセージが多かったり、著名な経営者、講演家、セミナー講師の方たちの中にも「師を持つことの大切さ」について語っている方もたくさんいらっしゃいます。

だからこそ、「メンターを見つけるぞ!」と思い、動いている人も増えたように思います。

そのこと自体はとても素晴らしいことだと思うのですが、私はずーっと「探す」とか「見つける」ということに違和感を感じていました。

そして、表立って「探しているんです」「見つけたいんです」と言っていない人の方が、よっぽどメンターと呼べるような方と出会っているように思ったのです。

これはなんだろう?と思っていたら、ある本にすごく参考になる文章を見つけたので紹介させてください。

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『どんなにメンターの前で自分をPRして、ある程度認識はしてもらえたとしても、なかなかそれ以上は近づけないのです。

「ああ、あの元気な彼ね」ぐらいには思ってもらえるかもしれません。でも、それ以上に身近に親しく置いてもらう存在にはなれない。

なぜなんだろうか?

そこで、ひとつの法則に気づいたのです。

メンターになる人は、人を見る目があります。何を見ているのかというと、人のバックグラウンドではなく、その人の前に広がるものを見ています。

メンターに対して、弟子になる人のことを「メンティ」と言いますが、メンティはメンターのほうを向いていたら、いつまでたってもメンティとして教えてもらうことはできません。

なぜならメンティとは、メンターに向かい合うのではなく、メンターに背を向け、メンターから後押ししてもらいながら、前を向いて何かをする存在でなければいけないからです。

いつまでもメンターを見上げて、「教えてくれ」「教えてくれ」と頑張っていても、コイの滝登りといっしょで苦しいだけです。

やがては力つきてドロップアウトしてしまう。

流れが逆だったことに気づきました。』


〔一番欲しいものをあげなさい〕 P97〜P98より引用
鈴木惣士郎著/サンマーク出版

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いかがでしょうか。

私が感じていた違和感というのは、言い換えれば、それって「流れが逆なんじゃないの?」という想いだったことに気づくことができました。

また、この本では「流れが逆になってしまっている人」の解決策も載っていたので紹介します。

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『私が師事していたメンターたちはみな、人を喜ばせようとしています。

だから、私もメンターと同じ方向を向いて、人を喜ばせることをすればよかったのです。』

『結局、メンターにより近づくためには、自分自身がメンターと同じ方向を向かなければなりません。

自分が与える存在になって、初めて自分に与えてくれる人が現れるのです。』

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ここまで読んでみて思ったことがあります。


それは、『真に人生を変えるようなメンターとの出会いは、出会おうとするものではなく、出会ってしまうものなのではないか』ということです。

「自分がこの人だ!」と考えて決めた人よりもむしろ、「誰か」のために一生懸命になっているときに、ふと、身近になってしまっている頼れる存在。

その人こそが真のメンターなのかもしれませんね。





※如何でしたでしょうか?!

ここ数年の私の出会いも、まさに‘出逢ってしまった’感があります。

メンターについて、勉強になりました。
  


Posted by makishing at 07:11Comments(2)