2011年07月26日

“茨田のあひる”って何!?



今日は、生涯学習センターに置いてあった資料『いちょう並木7月号』(大阪市の役立つ講座・イベントが満載)から《おおさか歴史探訪48》を紹介致します。




《茨田のあひる》 − 天神祭りにあひるのすき焼き −


7月も後半になると、大阪の夏を彩る天神祭りが楽しみになってきます。ところで大阪では天神祭りにあひるのすき焼きを賞味する風習があったことをご存知ですか。東京で土用の丑の日に鰻を食べることとよく比較されました。

あひるの産地として、古くより城東区の茨田が知られていました。河内平野はもとは入り江でしたが、大和川や淀川が運んでくる土砂による堆積作用で徐々に陸地化します。ただ、湿地も多く残っていて、あひるの養殖に適した環境でした。江戸時代には“河内の泥田(どた)あひる”の名前が残っています。一説には豊臣秀吉によって飼育が奨励されたともいわれています。ただ、この頃のあひるはわが国在来種の青首種であり、食用として嫌味があったといいます。

大正期になり品種改良がおこなわれ、“大阪あひる”と呼ばれる白色種ができて需要が急速に増加しました。昭和30年にピークをむかえ、飼育数は全国1位でした。年間約30万羽の雛をかえし、その肉や卵を全国に出荷していました。一方、欧米諸国では復活祭にあひるの雛のはく製が必要だったので輸出もさかんにおこなわれ、年間約1万ドル余りの外貨を獲得していました。

その後、高度経済成長による都市化が進み、湿地や水路が埋め立てられ、また全国的に鶏の養殖が広まり、あひるは急速に姿を消してゆきました。





※偶然、手にした冊子で、思いがけず『あひるの勉強』が出来ました。

あひるが食されていたこと、それと天神祭との関係等、全く知らないことだらけの自分が、ここに居ました。

皆様は、御存知でしたか?!
  


Posted by makishing at 04:43Comments(2)