2010年11月02日

〔近江商人〕とは?!




今日は、今年4月に勉強会で頂いた資料より、近江商人について、紹介致します。




明治維新前、滋賀県は「近江」と呼ばれていた。この近江から全国各地に出かけ、商品を売り買いし、確実に実績を伸ばした商人達を「近江商人」と呼ぶ。近江国内での「地商い商人」は近江商人とは言わない。


近江商人でも、発祥地の土地柄によって活躍を始めた時期、取扱商品の種類も異なり、それぞれ独自の商法を確立した。高島、八幡、日野、湖東というように出身地によって細分化される。




▽高島商人

近江商人の中でも最も早い時期から活躍した。琵琶湖西岸の高島市地方の商人。

東北地方で大きな勢力を持つようになった。小野組と称した小野一族は明治新政府の公金出納に関わる有力な金融業となり、生糸貿易、製糸業、鉱山業など多方面で新政府の経済基盤を支えた。

百貨店の高島屋は南新保村(現高島市)出身の飯田儀兵衛の婿養子新七が分家したことが店のルーツ。


▽八幡商人

現在の近江八幡市を中心とした地域から生まれた。

約400年前、徳川家康の江戸のまちづくりに大きく貢献したことから、東京日本橋の掘留付近の一等地を与えられた。現在も日本橋付近に「近江屋」という商店が多く見られるのは、このような背景がある。

総合寝具の西川産業の西川甚五郎、北海道の漁場開発に貢献した西川伝右衛門、安南(現ベトナム)貿易に雄飛した西村太郎右衛門などが八幡商人。


▽日野商人

城下町日野から生まれた商人。

日野椀や売薬を主な商品として関東や東北へ販路を拡げた。酒、味噌、醤油の醸造業などで経営基盤を固めた。


▽湖東商人

東近江市(旧五個荘町、湖東町)や東郷町などから生まれた商人。

江戸時代後期に活躍した商人が多く、明治新政府の近代的な経済、産業基盤の形成に大きく貢献した。とくに繊維産業の基盤は湖東商人によって築かれたともいえる。

「市田」「ツカモト」「外与(とのよ)」「チョーギン」「ツカキ」など、京都、大阪、東京に支店網を展開している。「伊藤忠商事」「丸紅」の祖である伊藤忠兵衛は東郷町出身である。





※この内容について、ハッとしました。近江商人の4つの種類は、当然納得でしたが、元々の根本が間違っていました。

つまり〈近江地区土着の商人=近江商人ではない〉を、全く知りませんでした。近江発祥で、近江以外の全国各地で活躍した商人なのですね。
  


Posted by makishing at 06:03Comments(2)