2010年10月20日

阪神タイガース、3つの永久欠番


今年8月25日、「甲子園探訪《永久欠番》」というテーマで、阪神甲子園球場の一塁側アルプススタンドを出た辺りの石碑の文章を、御紹介しました。

本日は、その続編で、阪神タイガースの3人の永久欠番選手の、それぞれの説明文です。


☆「10」藤村富美男

強虎の礎となった「ミスタータイガース」


1936年、4月29日、創設されたタイガース公式戦第一戦投手として完封し、記念すべき球団初勝利を挙げたが、藤村選手の本領は、37インチの長尺バットを操っての豪快バッティング。数々の記録・伝説を残してきた。

1949年には巨人の川上選手、千葉選手らをおさえて、最高殊勲選手となった。捕手以外の全てのポジションをこなし、監督も兼任したスーパースター。




☆「11」村山実

反骨精神で挑み続けた「炎のエース」


入団初年度18勝、最優秀防御率(1.19)と沢村賞を獲得。躍動感溢れる投球は、当時のマラソンランナーになぞらえて「ザトペック投法」と呼ばれた。

巨人からの誘いを受けながら、迷わず阪神へ入団した男気を感じさせた。同時期の巨人入団、長嶋選手とは数々の名勝負をし、真っ向から立ち向かう反骨精神と気概は、ファンを魅了した。

1970年からは、選手兼任監督。1972年オフに14年間背負い、222勝した背番号「11」は永久欠番となった。




☆「23」吉田義男

ダイヤモンドを華麗に舞った「今牛若丸」


19歳での入団から不動の遊撃手。芸術品と言えるグラブさばきと「牛若丸」の異名を取った身のこなしで、ベストナイン9回。通算盗塁数350を数えた。

引退後は評論活動後、タイガースの監督に就任。二度目の指揮を取った1985年、チームを21年ぶりのリーグ制覇に導き、日本一に輝いた。2リーグ分立後初の快挙。

現役時代に得た「不世出の遊撃手」の称号、タイガース初の日本一監督としての栄誉で、永久欠番の「23」は、色褪せることなく、語り継がれている。





※素晴らしいですね。これまで、阪神タイガースには、素晴らしい功績を残した選手、沢山おられたように思います。しかし、実際、永久欠番の名誉を与えられた選手は、たった3人なんですね。永久欠番のステータスの高さを感じずには、いられません。
  


Posted by makishing at 00:25Comments(4)