2009年11月29日

【金閣寺】の本当の名前とは?




先日、家族で紅葉を鑑賞に行きました。行き先は、京都・金閣寺。紅葉が美しい事で有名ですね。

少し前に掲載した、奈良・法隆寺同様、世界文化遺産です。金閣寺を含めた庭園自体が、美しい紅葉のアートでした。

建物の本堂を観れる所に入る時、チケットを買って入りましたが、その時、頂いた案内のパンフレットに書かれていた内容を、御紹介致します(一部抽出の形)。



◆金閣・鹿苑寺

お釈迦様のお骨をまつった舎利殿「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、正しくは「鹿苑寺(ろくおんじ)」と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。(1994年、世界文化遺産に登録されました。)

この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘北山第が在りましたが、足利3代将軍義満が大変気に入り、応永4年(1397年)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、中国(明国)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した所で、この時代の文化を特に北山文化と言います。

義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山(初代の住職)とし義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名づけられました。



◆舎利殿(金閣)

2層と3層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた、こけら葺(こけらぶき)で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。1層は寝殿造で法水院、2層は武家造で潮音洞とよばれています。3層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。

昭和62年(1987年)秋、漆の塗替や金箔の張替、更に天井画と義満像の復元を行いました。又、平成15年(2003年)春、屋根の葺替を行いました。




※昔、学生の頃行った金閣寺とは、少し趣きが違いました。その時に、「本当は鹿苑寺」と聞いていた筈ですが、すっかり忘れていました。
  


Posted by makishing at 02:39Comments(4)